日めくりプロ野球 3月

【3月25日】1979年(昭54) 新生ライオンズ 第1号本塁打は“大穴”山崎裕之

[ 2009年3月1日 06:00 ]

新生ライオンズの“1号本塁打”を放った山崎。通算2081安打を記録。西武初期の猛者連中の中でもいぶし銀の活躍をした
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 オープン戦11試合。いまだに本塁打がチームとして1本も出ていなかった。ようやく12試合目に飛び出した1号はかつてのホームランキングでもなければ、期待の外国人選手でもなく、15年目のベテラン内野手だった。
 九州を離れ、心機一転西武として新しいスタートを切ったライオンズにロッテから移籍してきた山崎裕之二塁手はこの日、フィラデルフィア・フィリーズ傘下の3Aチームとの試合で初回、右翼へ本塁打を放った。
 オープン戦とはいえ、これが西武球団としての第1号本塁打。阪神から移籍の田淵幸一内野手でもなければ、かつての三冠王・野村克也捕手でもない。2番打者の“職人”タイプの山崎が、10試合以上サク越えのなかったチームのメモリアルアーチを放ったことに、首脳陣もビックリ。「大穴。万馬券やな」と根本陸夫監督は大笑いした。

 仕事人らしく外角のカーブを引っ張らずに、右へ打ち返した一撃。「風でしょ。風だよ」と謙そんした山崎だが、打撃技術とパンチ力は健在。金田正一監督か山内一弘監督体制に代わった新チームで“構想外”になったのが不思議なくらいだった。
 山崎の本塁打はフロリダの青空によく映えた。2月9日から米フロリダ州ブランデントンでキャンプを張り、3月中旬から同じく近隣でキャンプ中の大リーグ各球団とオープン戦を繰り返していた西武。フィリーズ3Aとの試合は9回に6点を奪い、9-4で勝利を収め、西武の成績はこれで6勝5敗1分けとなった。健闘しているといえば健闘していだが、12試合で本塁打が1本という現実は、当時のライオンズのチーム状態を物語っていた。
 「金に糸目はつけない」とライオンズを10億円で買収した堤義明オーナーは、5000万円以上費用をかけ、計54日間海外キャンプを指令。4月7日の開幕戦4日前に帰国し、国内ではオープン戦を一切やらず、ペナントレースを迎える大胆な構想をぶち上げた。メジャーリーガーの胸を借りて武者修行をしてこい、という聞こえはいいが、選手にはとんでもないキャンプ計画は、ワンマン堤オーナーの考えとあって、議論の余地もなく、現場はそれに従って動かざるをえなかった。
 真冬から真夏、ご飯とみそ汁の食事から毎日洋食バイキング…。今ほど海外が身近になかった時代、選手はそれだけでヘトヘトになった。加えて、トレードや新人を含めて17人もの新入団選手が入り、「九州組」とのコミュニケーションも満足にとれないまま。チームとしてまとまる要素はなく、ただそれぞれが同じ場所で勝手に野球をやっているようなものだった。寄せ集め集団はリーダーシップをとる人間もなく、練習方法にも戸惑い、各選手の仕上がり具合は、とても1、2週間で開幕を迎えるというレベルにはなかった。
 結局西武は帰国直前にハワイでサンディエゴ・パドレスとの最終戦を戦い、19試合8勝10敗の成績だったが、なんと本塁打は山崎の1本だけ。田淵、野村、そして土井正博外野手と大砲ぞろいの重量打線は火を噴かぬまま、シーズンイン。開幕戦では近鉄の鈴木啓示投手に完封負けを喫した。
 以後開幕12連敗の球団ワースト記録を更新した西武は前年のクラウン時代の51勝67敗12分けをも下回る45勝73敗12分けで最下位になった。常勝軍団になる3年前の話である。

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