日めくりプロ野球 3月

【3月10日】1981年(昭56) 拾われたドラ1、山内和宏「加藤英さん以外は別に怖くない」

[ 2009年3月1日 06:00 ]

81年4月7日、日生球場での近鉄1回戦に初先発し初勝利を挙げた山内和。“トリオ・ザ・山内”のいっかくとして弱かった当時のホークスを支えた
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 ストレートが内外角の低めにビシビシ決まり、おまけにシュートが右打者の懐をえぐった。「南海にあんな威勢のええ、投手おったか?新人?えらいこっちゃ」。阪急・上田監督が目を丸くしたのは、80年のドラフト1位、社会人のリッカーから入団した山内和宏投手。背番号18のエースナンバーをいきなり与えられ、前年入団の山内孝徳投手(背番号19)、ベテランの山内新一投手(背番号20)と3人で“トリオ・ザ・山内”として球団が売り出し中の右腕だった。
 細身で優しそうな顔つきとは裏腹に「グイグイ厳しいとこ来るで。新人やけど、ウチの投手の中で一番受けてて楽しいわ」とベテラン女房の黒田正宏捕手。大阪球場でのこの日のオープン戦で5回4安打5三振。2点は失ったが、拙い味方の守備によるもの。内容的にはほぼ完ぺきだった。
 デビュー2戦目の登板に山内和は「ストレートがよく走ったし、シュートも不思議なくらい決まった。阪急打線?加藤英司さん以外は別にこれといって怖くなかった」と口も球威も1級品。蓑田浩二中堅手、ボビー・マルカーノ二塁手ら3年前にリーグV4を果たしたブレーブスのつわものにも臆することはなかった。これが半年くらい前まで「僕なんか本当にプロに指名されるんですか?」と半信半疑だった同じ男の言葉とは到底思えなかった。
 拾われたドラフト1投手だった。静岡・浜名高から駒沢大学へ進学も野球部を退部。「友人が辞めたのでつい一緒に」という曖昧な理由だったが、そのうち大学も辞めてしまうことに。バイトをしながらフラフラしているところを、高校のOBの紹介で、ノンプロのリッカーが声をかけた。1週間の合宿テストで合格。ブランクはあったが、その投球に将来性を感じてのものだった。
 その見方は間違いではなかった。リッカーはとしては都市対抗に出場できなかったが、補強選手として後楽園のマウンドで投げた山内に、まず巨人が飛びついた。入社2年目の79年のことだった。ドラフトでジャイアンツが指名の気配をみせたことで他球団も注目。リッカー側は次の夏の都市対抗に是非必要な戦力として、巨人に指名拒否を伝えたほどだった。
 そして3年目の80年。新日鉄室蘭の竹本由紀夫投手の「次にいい投手」という評価で注目の的となったが、南海が竹本にも、この年目玉だった東海大・原辰徳三塁手にも石毛宏典遊撃手にも目もくれず、単独指名に成功した。
 ルーキーイヤーに5勝。続いて11勝とドラ1にふさわしい活躍をし、3年目の83年には18勝をマークし、西武・東尾修投手とともに最多勝投手に。ホークスでは皆川睦男投手以来、15年ぶりの快挙だった。山内よりも格上と評された、竹本はヤクルト入りしたが、1勝もできずに84年に引退したのだから、ドラフト時の評価はアテにならないものである。
 その後、右腕の血行障害などに悩まされ、勝ち星は伸びず、90年のシーズン途中に中日へ移籍。4勝をマークし、最後の意地をみせた。通算100勝まであと3つだったが、92年に引退した。広島県福山市で当初スナックなどを経営していたが、その後ビル管理会社経営に転身。マスターズリーグで最多勝をマークするなど元気な姿を見せている。

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