日めくりプロ野球 3月

【3月8日】1986年(昭61) 早くも42本目!ブロハード、打球より先にアレが柵越え

[ 2009年3月1日 06:00 ]

ユマキャンプで打撃練習中のブロハード。退団後、背番号3は長嶋一茂に継承された
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 【ヤクルト5-4南海】白球がオーバーフェンスする前に、バットがお先に柵を越えた。そんな“珍プレー”が起きたのは、米ユマ帰りのヤクルトが本拠地神宮で迎えた最初のオープン戦の5回だった。
 ヤクルトの新外国人、マーク・ブロハード中堅手はカウント0-1から、南海・中条善伸投手の内角直球に手を出し、三塁線へのファウル。打球はゴロとなったが、振ったバットの上から3分の2が折れて、クルクル回転しながら宙を舞った。

 「ファウルボールにご注意ください」という場内アナウンスは、スタジアムのBGMのようなものだが「折れたバットにはくれぐれもご注意ください」というのは聞いたことがない。そんなアナウンスが流れるまもなく、回転したバットの先端はフェンスを越えて三塁側のスタンドに“着地”。幸い観客がそこにはおらず、大事には至らなかったが、お客さんが詰めかける公式戦だったら…と思うと笑っていられないシーンだった。
 苦笑いしたのは打席のブロハード。これでユマキャンプからの1カ月で計41本のバットを折ったことになる。続く8回、今度は山口哲治投手に三ゴロに打ち取られたが、この時もバットがボキッ…。これで42本目。「1試合で4本折ったこともあるさ」と全く意に介さないブロハード。「オレの8年分だ」とあ然としたのは同僚の若松勉外野手。キャンプで用意した20本はすでになく、チームメイトの玄岡正充外野手、高仁秀治外野手から譲り受けたものもすべて使い果たした。
 年俸4000万円でも1本1万円以上(当時)するバットをこうポキポキやってはたまらない、はずだったが、このうわさを聞きつけた運動具メーカーが「バットを無償で提供する」と申し出てきた。そこにはちゃんと狙いがあった。「ウチのバットの材質が悪いのか、それとも打ち方がわるいのか、いい研究材料になる」。またとない実験台としてブロハードは“利用される”ことになった。
 バットが折れるのは多くの場合、内角球に詰まってというケースだが、ブロハードは外角球をバットの先に当て折るという特異なケースが8割近かった。グリップを握る時、人差し指の第二関節を立てるようにして握る変則スタイルだったことが、影響していたのかもしれない。
 2本のバットを折りながらも、来日初の試合で2安打を放ち、ミルウォーキー・ブルワーズで6年間、25本塁打を放った片りんを見せた。ニックネームは「ベーブ」。人相があのベーブ・ルースに似ていることから、メジャー時代からそう呼ばれていた。
 重心が高く、ひざを使ってのバッティングができなかったため、シーズンでは2割5分8厘止まり。それでも21本塁打を記録し、特に10月7日の巨人26回戦(神宮)で槙原寛巳投手から左中間に放った逆転2点本塁打は、王貞治監督の初優勝の夢を打ち砕いた球史に残る一発となった。
 2年目の87年は打撃フォームを改造し、開幕から絶好調。11試合で3割7分9厘のハイアベレージをマークした。しかし、球団は大物大リーガー、ボブ・ホーナー内野手を獲得したことで「プライドが傷つけられた。1軍の外国人登録2人制(当時)では、レオン・リーより実績が劣るオレが2軍。そこではやりたくない」と反発。急きょ退団してしまった。帰国後はマイナー契約で米球界に復帰。メジャー昇格はならずに引退。日本の野球に慣れ始めていただけに、残念なことをした。

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