日めくりプロ野球 3月

【3月4日】2006年(平18) まずは1次R突破!10分で決めた多村仁の2打数連弾!

[ 2009年3月1日 06:00 ]

1回、先制の3点本塁打を放った多村は一塁を回る前にガッツポーズ!WBC第2R進出を決定づけた一発となった
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 【WBC日本代表14-3台湾代表】オイシイところで回ってきた。初回2死一、三塁。だからと言って必要以上に興奮することも、力むこともなかった「チャンスを作ってもらったので、素直に好球必打で振りにいった」。打席に入った5番・多村仁左翼手(横浜)は雑念を抱くことなく、無心で投球を待った。
 初球は誘い球の外角のスライダー。平然と見送った。その姿に日本代表ベンチ、そして東京ドームの観客は“雰囲気”を感じていた。それに飲まれるように台湾代表の投手の2球目のストレートはど真ん中に入った。好球必打を有言実行した多村。打球は一瞬のうちに左翼席に吸い込まれる、打った瞬間それと分かる豪快な3点本塁打となった。

 わき上がる歓声。拍手の嵐。日本代表ベンチは王貞治監督を筆頭にベンチを勢いよく飛び出し、こぶしを突き上げた。が、多村はここでも冷静だった。「浮かれてベースを踏み忘れないようにと、そればかり考えていた」。
 試合開始からわずか10分。「あの3ランが台湾全体にグサッと突き刺さり、こっちは勇気づけられた」と王監督。先制パンチでWBC2次ラウンド進出をかけたプレッシャーが解けた。多村の中国戦に続く2四球を挟んだ2打数連続本塁打で波に乗った日本代表は、7回までに15安打14点をたたき出し、加えて横浜高の後輩・先発の松坂大輔投手を援護した。一部では接戦が予想された台湾を一蹴。アメリカ行きの切符を日本代表は手にした。
 プロ12年目。大器と言われ続けた多村の才能がようやく花開いたのは、2年前の04年だった。打率は3割5厘、本塁打は前年の18本から40本、打点も同46から100へとケタ違いの進化を遂げた。
 しかし、05年は31本塁打79打点と下降。6月に高速道路で交通事故を起こし軽いけが。事故は物損で大事には至らなかったが、1カ月近く戦線を離脱。3年連続最下位を脱出し、4年ぶり3位となったチームに十分貢献したとはいえなかった。
 だからこそ、WBCで活躍し、そのままの勢いでペナントレースに突入したかった。台湾戦での1発はその思いも乗せた一撃だった。
 1次ラウンドに入る前の壮行試合でヒットは出るが、打球が上がらない多村に的確なアドバイスをしてくれたのは、横浜のかつてのチームメイトだった。中日・谷繁元信捕手は「今までの打ち方じゃない。タメがない」と指摘。右足に体重が十分乗らないままにバットを出していたせいで、ヒットにはなっても力のない当たりが続いていた原因がこれで分かった。意識して修正した結果が2本塁打につながった。
 WBC世界一メンバーとなった多村がソフトバンクに移籍したのは、その約8カ月後。代表監督の王監督に請われてのものだった。横浜に移った寺原隼人投手はホークス時代の伸び悩みがそのように、1年目は先発で12勝、08年も慣れないストッパーで失敗を繰り返しながらも頑張った。翻って多村はケガが相変わらず多く、この2シーズン十分働いたとは言いがたい。
 09年、WBCメンバーに多村の名前はない。世界一をともに味わったイチローや青木宣親外野手らが連覇を目指し戦う中、多村はまず自らの輝きを取り戻し、最下位に沈んだホークスを浮上させるために働かなければならない。

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