日めくりプロ野球 3月

【3月28日】2003年(平15)  7年目の開幕初勝利!広島・黒田、最速2時間29分

[ 2008年3月20日 06:00 ]

初の開幕投手で完投勝利を収めた黒田は以後5年連続オープニングゲームの先発を務め、3勝をマークした
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 【広島3-1ヤクルト】渾身の102球目は147キロのストレートだった。当たり損ねの一ゴロでヤクルトの6番・古田敦也捕手をねじ伏せると、広島・黒田博樹投手は右腕を高く掲げ「よぉーし!」と雄叫びを上げた。試合終了は午後8時29分、この日開幕したプロ野球の中で一番速い勝利投手であり、唯一の完投勝ちだった。
 プロ入り7年目。3年連続のオープニングゲームを任されていた、佐々岡真司投手に代わっての大役だった。意気に感じて投げるタイプの投手。2月の日南キャンプで山本浩二監督から「開幕をお前に任せる」と言われた時から、気持ちの準備は怠らなかった。初回、先頭打者の稲葉篤紀右翼手への初球は150キロの直球。以後、腕を振り、真っ直ぐでグイグイ押した。3回に先制点を許したものの、4回以降は散発3安打。無四球で開幕戦初勝利を飾った。
 「長く苦しかった」。黒田はヒーローインタビューでそう振り返った。それは単に開幕の完投勝利を指したのではなく、それは黒田がここまで歩んできた道のりをも意味していた。
 父・一博は昭和20年代、南海などで外野手として通算578安打32本塁打を記録したプロ野球選手。母親は東京五輪の砲丸投げの代表候補だった。その父が指導するチームで野球をおぼえた黒田は、大阪・上宮高に進学。ここでは3番手投手で目立たない存在だった。頭角を現したのは専修大学に進んでから。3年秋には東都大学リーグ2部に低迷していた専大を8季ぶりに1部に昇格させた原動力となった。
 150キロの真っ直ぐを武器に広島、中日、巨人らの獲得合戦の末、「最初から目をかけてくれた」という広島に入団を決意。96年のドラフト会議で2位指名された。
 プロ初勝利はルーキーイヤーの97年4月25日。巨人を6安打に抑えての完投勝利だった。しかし、デビューから4年間はひとケタ勝利に終わり、先発ローテーションの柱にはなりえなかった。伸び悩みと持病の腰痛を乗り越えて、7年かかった初めての開幕投手。黒田が「長く苦しかった」と話した意味にはここにいたる歳月の重みがあった。。
 開幕試合初先発初勝利から5年連続してオープニングゲームを任された黒田。広島草創期を支えた通算197勝投手、長谷川良平に並ぶ偉大な球団記録だった。05年は巨人相手に完投勝ち、07年も阪神相手に勝利投手となった。
 06年オフ、黒田は阪神にFA移籍しかけたことがあった。阪神は井川慶投手がヤンキース入りしたこともあって、その代役がどうしてもほしかった。その代役という考えがタイガースに見え隠れしたのを黒田は嫌った。9年連続Bクラスのチームで孤軍奮闘、エースとして他球団と張り合ってきたプライドが許さなかった。熱烈な広島ファンの思いにも応えなければという男気が最終的にはカープ残留を決断させた。
 08年、黒田は広島での通算103勝89敗1セーブの成績を引っさげ大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースのユニホームに袖を通した。3年契約で年俸総額は日本円にして推定約40億円。「高すぎる」という声も関係者の間にはあるが、レッドソックスの松坂大輔投手以上の期待を球団ではかけている。
 「あの球場はすごい球場だ」。07年他界した父は、少年野球チームを引き連れロスの大会に参加した帰りに寄ったドジャースタジアムの素晴らしさを息子に伝えたことがあった。いつかあのスタジアムで投げほしい。そんな気持ちが父にはあったのだろうか。黒田は日本を離れるにあたり、携帯可能な仏壇と鬼籍に入っている両親の写真をバッグに忍ばせた。気持ちよく送り出してくれた広島ファンの思いとともに、黒田はメジャー1年目のマウンドに立つ。

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