日めくりプロ野球 3月

【3月25日】1956年(昭31) 樋笠一夫 史上初の代打逆転サヨナラ満塁弾

[ 2008年3月20日 06:00 ]

60年、近鉄コーチ時代の樋笠。巨人OBの千葉茂監督に請われ打撃コーチに就任した
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 【巨人4-3中日】開幕4連勝でスタートした首位中日はこの日、後楽園での巨人とのダブルヘッダー第1試合を1-2落とし、連勝がストップ。負ければまだ6試合目とはいえ、阪神に首位の座を奪われるだけに、第2試合はどうしても勝ちたい試合だった。
 先発は開幕2戦目の大洋2回戦に5安打1失点で完投勝ちした大矢根博臣投手。9安打を浴び6度も得点圏に走者を背負いながら得点を許さず、3-0とリードした中日は勝利目前だった。
 9回裏無死一、二塁となり、中日・野口明監督はエース杉下茂投手をマウンドに送った。7番・広岡達朗遊撃手は杉下の直球を強振するも岡嶋博治遊撃手への正面のゴロ。ダブルプレーで巨人のチャンスもしぼむと誰もが思った瞬間、岡嶋はこれをファンブル。一気に無死満塁。にわかに風雲急を告げる場面となった。
 8番・藤尾茂捕手は三振に仕留め一死。打者は9番・義原武敏投手の代打・樋笠一夫外野手が右打席に入った。50年(昭25)に新球団の広島で4番を張り、21本塁打72打点を記録したスラッガーも36歳。巨人ではバット一本代打稼業に徹していた。
 カウント1-1。交代してから杉下は“消える魔球”といわれたフォークボールを1球も投げない。すべてストレート勝負だった。そろそろフォーク、と樋笠は思わなかった。「真っ直ぐだ。それしかない」。狙い通りだった。内角の高めを思い切りたたいた打球は、日曜日の夕暮れ迫る左翼スタンド中段へと吸い込まれた。
 史上初の代打逆転サヨナラ満塁本塁打。4万3000人の観衆が一斉に歓声と悲鳴を上げた。かみしめるようにゆっくりとダイヤモンドを回る樋笠に、三塁コーチャーズボックスの水原茂監督が飛びつく。巨人ナインが樋笠のホームインを確認するや否やこの背番号24はもみくちやにされ、しまいには胴上げされた。
 「5年も前になりますが、杉下君からは1本ホームランを打っている。それが頭にあったのでもしかしたらというのはあった」と樋笠は興奮しながら話しているが、この名勝負は2人のこだわりの産物だった。
 50年(昭25)、郷里の香川・尽誠学園高の野球部の監督をしていた30歳の樋笠は新球団の広島に入団。契約は1年だった。年齢的に自信がなかったのではない。友人との約束でしょうゆの製造販売を手がける商売をする計画があったためだった。
 チーム二冠王の数字を残しつつも、予定通り1年で引退。四国へと帰ったが、シーズンに入って巨人が「ぜひとも」と入団を要請。断り続けていたが、同県人の大先輩、水原監督に拝み倒され、巨人のユニホームに袖を通すことになった。
 プルヒッターで、バットの芯に当たればスタンドインするバッティングは魅力的だった。一方で強引な打撃はアベレージが安定せず、守備でも突出したものはなかったためレギュラーへの道は険しかった。好不調の波が激しかった原因は変化球についていけなかったことだった。水原監督は「これだけ練習してカーブを打てないヤツも珍しい」と半ばあきれたほどだった。
 その代わり内角球には滅法強かった。そんな樋笠に、チームメイトで同い年の川上哲治一塁手はこうアドバイスした。「うまく変化球を打とうなんて思うな。君には得意の内角打ちがあるじゃないか。特長を生かせ、小さくまとまるな」。
 以来、樋笠は内角のみを狙って打った。変化球や外角球がきたらごめんなさいと、あっさり三振した。杉下から放ったサヨナラグランドスラムは内角高めの速球。ややボール気味だったが、インコース大好きの樋笠にとっては絶好球だった。現役8年の通算打率は2割2分9厘と低いが、本塁打54本はこの徹底した内角狙いのバッティングから弾き出されたものだった。
 打たれた杉下も意地があった。代名詞は“元祖・フォークボール”。しかし、その伝家の宝刀は先発完投しても1試合に5回抜くか抜かないかで、めったに投げない。現在のストッパーのようにフォークの連投というシーンは杉下に限って言えばあり得なかった。
 当時、下位球団だった「広島や国鉄、大洋戦では投げた記憶はほとんどない。巨人でも川上さんに続けて投げた程度。投手はストレートで勝負してナンボ。フォークなんて本当は投げたくなかったけど、どうしても抑えられないと思った打者には投げていた」というのが、背番号20のポリシーだった。
 サヨナラ満塁弾を食らった試合で杉下は対戦した3人の打者に1球もフォークを投げていない。「ストレートを打たれて負けたらそれでいいじゃないか。樋笠さんに打たれたのも力と力の勝負。悔いはない」。杉下の投球美学がそこに間見える。
 代打逆転サヨナラ満塁本塁打はプロ野球70年以上の歴史でわずか6本しか出ていない。“超レア”ものの一発は、男の意地と意地とのぶつかり合いから生まれたものだからこそ、53年が過ぎた今でも色あせることなく語り継がれている。

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