日めくりプロ野球 3月

【3月17日】1998年(平10) さらば、聖地・多摩川グラウンド 巨人最後の練習

[ 2008年3月11日 06:00 ]

巨人の聖地、多摩川グラウンド。漫画「巨人の星」「侍ジャイアンツ」でも主人公の星飛雄馬や番場蛮が特訓する場所としてしばしば登場した
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 選手、監督、コーチ、関係者、そしてファン…。それぞれが個々の思いを胸に最後の日を迎えた。東京都大田区、多摩川河川敷にある巨人軍多摩川グラウンド。球団は本来の持ち主である国へこの球場を返却。43年にわたる“聖地”としての役目を終えることになった。
 多摩川で汗を流し、ここを道場として後楽園のカクテル光線の下で歓声を浴びた、長嶋茂雄監督、堀内恒夫ヘッドコーチら往年の名選手は万感迫る思いだった。入団時は背番号21、そしてエースナンバー18番、今は70番を付ける堀内コーチの足は自然とブルペンへと向かった。「現役の時は必ず左端のマウンドを使っていたんだ。懐かしいな」と、山なりのボールでピッチングを開始。別れを惜しむようにマウンドをならしながら、「もうダメだね。球がいかないよ」と、通算203勝の礎を築いた土に別れのあいさつをするかのようにつぶやいた。
 この日の“セレモニー”を提案したのは実は長嶋監督だった。「巨人軍、長嶋茂雄としての原点が多摩川。昭和30年代から50年代、多摩川といえば巨人、巨人といえば多摩川だった」という思いがミスターにはあった。
 多摩川土手に集結した熱烈なG党約2000人の姿を見つめながら、長嶋監督は“野球人”として第2のスタートを切った、あの日の多摩川を思い出していた。「昭和50年だねぇ。ドラ1で定岡(正二投手)が入ってきて、多摩川で最初の練習をした時、二子玉川の土手にファンのみなさんが集まってね。3万5000人くらいいたんじゃないかな」。
 75年1月19日、選手から監督へ、背番号3から90へ変わった長嶋が指揮する新生ジャイアンツは多摩川でキャンプインした。ゴールデンルーキーと騒がれた鹿児島実業高出身の定岡もファンの前で初めてユニホーム姿を披露。実際には約1万人のギャラリーだったが、決して広くはない土手にそれだけの巨人ファンが押し寄せたのは初めてだった。監督1年目は屈辱の最下位。今となっては懐かしい思い出に変わったのだろう。「生きているうちは自分の胸の中に収めておきたい思い出ばかり。いろいろ思い出すなあ」と、いつになくミスターは感傷的になっていた。
 その定岡と同期、ただしテスト入団だったのが愛媛・松山商高の西本聖投手。脚光を浴びる定岡とは対照的に、長嶋監督と接する機会さえなかった西本だったが、その反骨心を多摩川での練習にぶつけ、80年代を代表する巨人のエースまでのし上がった。
 95年1月21日には通算165勝(128敗)投手の原点である多摩川で引退試合。ライバルだった定岡(通算51勝42敗)らが発起人となり、ここで出逢った夫人の見守る中、長嶋監督がスペシャルゲストで打席に立つという粋な演出まであった、最高のラストゲームだった。
 その長嶋監督の視線の先では平成のゴールデンルーキー、高橋由伸外野手が最初で最後の多摩川グラウンドでダッシュを繰り返していた。定岡フィーバーで多摩川が沸いていた時、由伸はこの世に生まれる2カ月以上前。「のどかな球場ですね」と、印象を求められても特に思い出はない。東京六大学新記録の23本塁打を打ちたてたスラッガーは少し困った表情を浮かべ、多摩川名物「グランド小池商店」のおでんを食べて聖地を後にした。
 国有地だった河川敷に野球場が完成したのは55年(昭30)。それ以前はグラウンドの対岸にある丸子橋の付近で巨人は練習していた。
 「麦畑みたいな土地でとても野球ができる感じではなかった」と多くの巨人OBは回想する。あの“打撃の神様”、川上哲治一塁手が「ボールが止まって見えた」という名言を残したのは、この麦畑のようなグラウンドで打撃練習をした50年8月のことだった。
 そんな練習環境をなんとかしようと、当時の水原茂監督自らが監督官庁の建設省(現国土交通省)と交渉し、多摩川グラウンドの借用が決まった。麦畑よりはましだったが、名グラウンドキーパー、務台三郎が心血を注いでトンボをかけ、石を拾うなど地道な努力を重ねて整備。川上監督時代は王、長嶋をはじめ全選手が外野から一列になり、バックネットに向かって石を拾い集めながら歩くのが練習前の“儀式”だった。
 大雨や台風で川の水が氾濫すればすぐ水浸しになり、ファウルボールが近くを走る道路に飛び込み通行車両に当たるなどの被害も多々あったことから、85年に巨人は川崎市にジャイアンツ球場を完成させると、多摩川は半ば開店休業状態となっていた。
 巨人から返還された球場はサッカー場になると言う話もあったが、現在は社会人や学生野球に開放。野球場としての歴史を21世紀もとどめている。

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