日めくりプロ野球 2月

【2月9日】1990年(平2) “走る凶器”大洋・マイヤーのショルダータックル

[ 2011年2月9日 06:00 ]

 アグレッシブ(積極性)、ファンダメンタル(基本)、テクニック(技術)の3点を「AFT」という頭文字で表し、ぬるま湯体質の大洋を闘争心あふれるチームに変えようと就任した、須藤豊監督の顔が思わずほころんだ。

 走塁練習中、新外国人のターナー・ジョーイ・マイヤー内野手がみせたショルダー・タックルは、サンドバッグを抱えていた池辺巌守備走塁コーチを一撃で“粉砕”した。1メートル91、体重122キロ。“公称”100キロのオリックス・ブーマー内野手を上回る、球界一の巨漢の突進に「まともに当たったら骨折だよ」と池辺コーチは目を丸くした。大洋ナインもぼう然とするばかり。「ジョーイは走る凶器だ。他球団の捕手が逃げるぜ」という声が上がった。

 「スライディングせずに、ショルダータックルをしたら、捕手は予測できないから効果的。アメリカでも成功した」とマイヤー。ルール違反ギリギリの“ジョーイ・スペシャル”に須藤監督は「打つほうは心配していない。走れないと聞いていたが、アグレッシブな走塁だね」と、おとなしい選手が多かった大洋の中での激しいプレーを絶賛した。

 ハワイで過ごした高校時代、122キロの巨漢は野球だけでなく、アメリカン・フットボールでも奨学金をもらっていた。ショルダータックルの技はアメフトで身に着けたものだった。ハイスクールでは野球選手のかたわら、オフェンス・ガードとして活躍。大相撲の元大関・小錦とも対戦している。大相撲といえば、マイヤーは元横綱・曙といとこ同士。日本でも暇を見つけては会食するほど仲が良かった。

 日本との縁はまだある。夫人は日本人の血をひくクオーター。そのため、マイヤーはみそ汁も刺し身も大好物。遠征先では日本料理店を探してはカツオのたたきを注文するほどだった。曙と会食するのももっぱらすし店だったが、巨体に似合わず一貫ずつ注文し、味わって食べるのが好きだった。

 84年、1Aながら三冠王を獲得。メジャーでは通算156試合で18本塁打、74打点。過去に165メートル飛んだという特大アーチを放ったという長距離砲は、日本で本塁打王、打点王を獲得した実績のあるカルロス・ポンセ外野手を差し置いての獲得だった。

 キャンプ中、往年の本塁打王・大杉勝男打撃コーチは「詰まっても力で運んでしまう」と感心していたが、オープン戦初登場となった90年3月3日のダイエー戦(沼津)で、その片りんを見せた。初回に村田勝喜投手から打った先制2点弾はバットの芯から外れていたが、それでも右翼席に運んだ。初打席初本塁打と上々のスタートを切ったマイヤーの本領はシーズンに入ってさらに発揮された。

 肋骨の亀裂骨折から戦列復帰した直後の5月6日の阪神6回戦(横浜)では、住友一哉投手から左翼場外に消える3号3ラン。同19日の広島6回戦(広島)でも川口和久投手から左翼へ推定飛距離155メートルの場外アーチを放った。極めつけは8月29日、横浜スタジアムのヤクルト21回戦、5回に内藤尚行投手から左翼場外へ推定飛距離160メートルの公式記録員認定の最長不倒本塁打(当時)。いくら飛んでもソロ本塁打の1点に「あそこまで飛ばさなくても…」とギャオス内藤は完全に自信をなくしていた。

 26本塁打77打点、打率2割7分5厘の成績を残したが、自慢のショルダータックルは“永遠の秘密兵器”に終わり、おまけに守備の拙さでチームの足を引っ張った。須藤大洋は7年ぶりAクラスとなる3位に入ったが、優勝した巨人と24ゲーム差をつけられたのはディフェンス面の差が大きかった。大砲より、堅守で走れる助っ人を探した球団はマイヤーを解雇、代わって大リーグパイレーツの俊足好守の外野手、ロバート・レイノルズを獲得した。

 「指名打者でならやれる」と大洋はパ・リーグとのトレードを模索したが、交換要員で折り合いがつかず自由契約に。しかし、日本での活躍を高評価した大リーグ、レンジャーズが指名打者として契約。獲得を踏み切ったのは、後にロッテ監督を務めたボビー・バレンタインだった。 (08年2月9日掲載分再録)

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