日めくりプロ野球 2月

【2月8日】2001年(平13) 東尾監督、松坂に指令「ヤツらの鼻っ柱とバットをへし折れ」

[ 2011年2月8日 06:00 ]

 すべて直球で53球。軒並み145キロ以上は出ていた。快速球をぼう然と見逃す西武の2人の新外国人打者。手を出しても打球が前に飛ばないどころか、空振りもした。

 気持ち良く打って自信をつけるはずのフリー打撃が、エース・松坂大輔投手の登板で一転して“真剣勝負”となり、日本人投手に対する“ナメた”態度は、この日を境に180度変わった。

 高知・春野でのキャンプインから1週間。こんな早い時期に打撃投手を務めるのは、入団3年目で初めてだった。「日本の投手をナメている。そんなに簡単じゃないところを見せてやれ。ヤツらの鼻っ柱とバットをへし折れ」。登板前日、東尾修監督は松坂を呼んで直接“指令”した。

 ターゲットは新外国人のアレックス・カブレラ、スコット・マクレーン両内野手。2日のフリー打撃で150メートルの場外弾を連発した台湾プロ野球2冠王のカブレラは「レベルは台湾の投手と同じくらい」と、日本人投手くみしやすしという認識を持った。オープン戦は相手が探りを入れるため、甘い球もくるが公式戦になるとそうはいかない。東尾監督は早期治療にと、キャンプ前半ながら松坂をぶつけて荒療治に取りかかった。

 まずは米国の3Aで3年間、87本塁打300打点のマクレーンが打席に入った。1球目はド真ん中。打撃捕手のミットに快音を発して白球が吸い込まれた。完全なストライクだが、マクレーンは手が出なかった。思わず松坂に視線をやった背番号3は、1度打席を外し、呼吸を整えた。

 2球目。また真ん中だった。フルスイングしたマクレーン。だが、その気持ちとは裏腹に打球は一塁側へ完全な振り遅れのファウル。ようやく打球が前に飛んだのは6球目の詰まった右飛。14球目の二塁へのゴロで指令通りバットをへし折った。

 コーチ陣と冗談を飛ばしあっていた、カブレラの表情は既に変わっていた。マクレーンに続き打席に入るとその2球目、真ん中高めにバットを出した。「普通ならスタンドイン」というカブレラに捉えたいつもの感触は全くなかった。ボールはキャッチャーミットの中。季節外れの巨大扇風機のような派手な空振りだった。その後もバットが空を切ること3度。最後の53球目。外角高めもかすりもせず、勝負はここで打ち止めとなった。

 マクレーンは17スイングでヒット性2本。カブレラにいたっては19スイングで同1本。「完全に軍配は松坂に上がったな」と東尾監督は狙い通りの結果にご満悦。「テングの鼻も少しは折れただろう。これでいい。認識を変えさえしてくれれば2人は打てるから」と佐々木誠打撃コーチは、すぐに両外国人選手を呼んでメンタルケアを怠らなかった。

 松坂に歩み寄り、自ら握手を求めたマクレーンは「素晴らしい投手だ。とても速かったよ。彼が味方で本当によかった」。一方のカブレラはノーコメント。「きょうのバッティングのことは聞かないでくれ」と、完全に鼻っ柱をへし折られ、ベンチに座ってすばらくヘコんでいた。

 「相手が自信をなくす?そうやってくれって言われましたから。結構リキ入りましたよ。大和魂です。ナメられないように投げましたから」と松坂。投球フォームにバラつきがあり、まだまだ調整段階ではあったが、それでも初期の目的は完全に達成した。

 両外国人にこの薬は効いた。01年、マクレーンは打率こそ2割4分7厘だったが、39本塁打87打点をマークした。

 一方、カブレラはそれ以上の成績で2割8分2厘、49本塁打124打点。翌年は3割3分6厘、55本塁打で本塁打王。日本記録に並ぶアーチ数となった。その後の活躍は周知の通り。08年はオリックスへ移籍。11年にはソフトバンクに活躍の場を移した。(08年2月8日掲載分再録 一部改変)

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