日めくりプロ野球 2月

【2月7日】1971年(昭46) 新人・佐伯和司 高校ビッグ3はお口も“ビッグ”

[ 2010年2月6日 06:00 ]

通算88勝100敗2Sの佐伯。71打席連続無安打という当時の日本記録を持っていたこともあった
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 本当は大リーグ行くはずだった18歳右腕は、宮崎・日南の広島キャンプにいた。この日は初のブルペン入り。カープ首脳陣が見守る中、約70球を投げた。
 「まだ安定感はないけど、力のある真っ直ぐを投げる。高校生にしちゃ上出来だ」と根本陸夫監督は笑みを浮かべた。だが、当の本人、ドラフト1位ルーキー、広島・広陵高出身の佐伯和司投手はイライラしていた。「怖い顔で備前(喜夫投手コーチ)さんや池田(英俊投手コーチ)がずっと見ていた。投げにくくて仕方がなかった。僕だけ見ていなくてもいいのに。もっと楽に投げたらもっといい球がいったと思う」。

 ルーキーにしては大胆な発言だった。「勝負度胸もいいが、口も達者」というのが担当スカウトの佐伯評。南海・島本構平投手(和歌山・箕島高、入団後外野に転向)、巨人・湯口敏彦投手(岐阜・岐阜短大付高)とともに“高校ビッグ3”と呼ばれた逸材はそろってドラ1で入団したが、一番プロ向きと評判だったのが佐伯。その片りんを投球だけでなく、言葉でも示した背番号21は先輩投手にも“ビッグマウス”ぶりを披露していた。
 鳴り物入りのドラ1入団で自信もあった。キャンプイン早々のことだった。先発ローテーションの柱の一人、外木場義郎投手と話をするなり、こう言った。「僕がカープに入ったので今年のローテーションは楽になりますね」。まだプロの公式戦で1球も投げていない投手が言う言葉ではなかった。ビックリした外木場は「とんでもない新人だ。かなりの大物か、よほど身の程知らずかのどちらかだな」と、佐伯の第一印象を語った。
 1試合平均10個の三振を奪う豪腕に一番接触していたのは実は大洋(現横浜)だった。後に大洋の監督まで務めた宮崎剛スカウトが何度も佐伯の実家に足を運び、その人柄に見込んでホエールズに世話になることを半ば決めていた。ところが、秋口になって大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツが急接近。心が動いた佐伯は、全く面識はなかったものの、かつて南海からジャイアンツへ行った村上雅則投手を訪ねた。
 気軽に相談に応じてくれた村上は「少しでも行ってみたい気があるなら、迷わないことだ」とアドバイス。佐伯の気持ちは固まった。両親に米国行きの考えを伝えると猛反対されたが、もう気分は大リーグ。周囲の声は耳に入らなかった。
 しかし、野球界にある厳然たるルールにまで高校生の気は回らなかった。70年11月9日、ドラフト会議で指名順位3番目の広島が佐伯を1位指名。ドラフトで指名された選手を海外の球団が交渉することはできなかった。それを知ったのはドラフト後。佐伯の運命は決まった。
 先発ローテ入りを“宣言”した佐伯の1年目は25試合で4勝9敗。翌年も6勝8敗と負けが先行した。真っ直ぐもカーブも1軍レベルではあったが、制球が甘くしかも単調になりがちな投球では、プロの一線級の打者には打たれた。
 73年フォークボールをマスターして19勝、広島初優勝の75年に15勝を挙げたが、好不調の波が激しく、77年に日本ハムへ3人の選手とともに移籍。開幕投手を務めるなど、2年連続2ケタの白星をマークしたが、右肩を痛めた。81年広島に復帰も未勝利のまま82年に引退。打撃投手を経てスカウト、広島2軍投手コーチなどを歴任した。09年から四国・九州アイランドリーグの高知でコーチを務めている。

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