日めくりプロ野球 2月

【2月24日】2007年(平19) 陽気な偏食カリビアン・オビスポ、いきなり152キロ

[ 2010年2月1日 06:00 ]

年々進化するオビスポ。来日時240万円だった年俸は2000万円まで跳ね上がった
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 これが育成枠での採用か?と思わせるほど速かった。巨人の2軍が練習試合で韓国の斗山と対戦。7-2で快勝したが、注目は巨人の2番手で投げた、ウィルフィン・オビスポ投手に集まった。

 日本でのデビュー戦は3イニングを投げ、50球3安打3奪三振で無失点。最速152キロを記録した。「少しずつ自分の球速に近づいている。もう少し暖かくなれば、もっと出るさ」。試合用のユニホームが間に合わず、金杞泰(キム・キイテ)育成担当コーチの背番号130を借りて登板したドミニカ出身の陽気な22歳はいたって上機嫌。巨人とは育成選手としての契約だが、吉村禎章2軍監督から報告を聞いた、原辰徳監督は「そんなに出た?枠はあるから考えましょう」と育成から早くも支配下登録選手にする意思を示した。
 01年にボストン・レッドソックス傘下のドミニカのマイナーチームと契約した時は遊撃手。04年にシンシナティ・レッズのマイナーへ移籍した時に、地肩の強さと球速を買われて投手に転向した。日系ブラジル人で広島で活躍後、巨人でコーチに就任した玉木重雄育成コーチがドミニカで投げているオビスポに目を付け、ジャイアンツのテストを受けさせた。
 年俸250万円で来日した右腕は球こそ速かったが、ブルペンで投げていても暴投ばかり。それどころか、普通にキャッチボールをしていても、球筋が定まらず、誰もキャッチボールの相手をしてくれないほどだった。
 食事にも困った。日本食どころか、肉も野菜も大嫌い。牛乳も飲めなかった。来日当時食べられたのは、焼いたシャケを食パンに挟んで食べるオビスポ流サンドイッチとみかんだけ。体重はみるみるうちに落ち、1メートル85の身長に対し、ウエートが65キロ程度になった。
 ストレス発散は母国のダンスミュージック、メレンゲを大音量で聴くこと。これが寮の自室でやるから、他の選手はたまったものではなかった。「うるさくて眠れない」という苦情が殺到。日本での後見人である玉木コーチが平謝りした。
 支配下登録→1軍登板→右肩痛で育成選手に逆戻り→再度支配下登録と、2年で目まぐるしい環境の変化を体験した。どうなること思いきや、豪速球右腕は3年目に驚くような進化を遂げた。
 09年4月に守護神、マーク・クルーン投手が戦線を離脱すると、前年イースタンで21セーブの実績を買われた1軍昇格。6月にファームへ戻り今度は先発の適性を試されている最中に、クルーンがまた故障し1軍へ。7月2日の広島12回戦(東京ドーム)で7回途中まで1失点と好投し初勝利。以後、他の外国人投手の事情に左右されながらも、150キロ超の真っ直ぐと、スライダー、チェンジアップを駆使し6勝1敗の好成績を残し優勝に貢献。クライマックスシリーズ、日本シリーズでも白星を挙げ、一躍脚光を浴びた。
 超が付くほど無頓着な性格の“オビちゃん”だが、練習態度はまじめ。来日した時は、球が速いだけだったが、“名伯楽”小谷正勝2軍投手コーチのマンツーマン指導で制球、フィルディング、クイックモーションなど投手として必要な技術を日々身につけていった。煮魚も食べられるようになるなど、食生活も“改善”されてきた26歳は、4年目に2ケタ勝利を狙う。

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