日めくりプロ野球 2月

【2月23日】2005年(平17) 稲葉篤紀「吹っ切れた」 メジャー断念日本ハム入団

[ 2010年2月1日 06:00 ]

守備練習を終え、コーチと話す稲葉。日本一奪回、5年連続3割へ10年も中心選手として大暴れしそうだ
Photo By スポニチ

 新外国人でもないのに、この時期の入団会見は異例だった。沖縄・名護。日本ハムのキャンプ地で行われた、FA移籍会見には、ヤクルトの主力選手だった稲葉篤紀外野手が出席していた。

 「もう吹っ切れた。正式なオファーがなかった悔しさを忘れずに、日本ハムで暴れたい」と稲葉。メジャーでのプレーを夢見てヤクルトからFA宣言。大リーグ数球団が調査に乗り出し、ヒューストン・アストロズなどは非公式だが、関心を示したものの「ずっと返答待ちの状態だった。僕をどうしても必要という思いが伝わってこなかった」とギリギリまで待ったが、自ら交渉ルートを断った。
 かといって、今さら古巣には戻れなかった。ヤクルトは残留なら2年契約年俸1億円の契約を用意していたが、越年すると単年契約で年俸は現状維持の7800万円と態度を硬化させた。「年俸が下がっても、夢を追いたい」とする稲葉との間には溝が生じ、残留の線はなくなった。
 一方、FA宣言直後から関心を示していたのが、日本ハムだった。「獲得すれば必ず戦力になる。メジャーの結果待ちで結構。いつまでも待つ」と高田繁GMは、長い目で“意中の恋人”振り向く機会を探っていた。
 結果的に焦らなかったことが、クリーンアップを打てる外野手獲得の決め手となった。メジャー行きが難しくなった2月に入って「優勝するために自分を必要としてくれる」という評価に心打たれ、北海道へ行くことを決意。入団を決意した。
 単年契約で年俸は6000万円にダウン。ヤクルト時代の背番号41はすでにふさがっており、とりあえず付けたのが58。新人選手が付けるような番号に「僕はここではルーキーですから」と、入団会見を終えたプロ11年生は再出発することを誓い、すぐにチームの練習に合流した。
 「新庄(剛志外野手)がファンへの接し方をチームに教え、稲葉が野球に対する姿勢を教えてくれた」。日本ハムの島田チーム統括本部長は、こう言ってはばからない。ファイターズが北海道に移転して3年目の2006年に、25年ぶりのリーグ優勝、前身の東映フライヤーズ以来44年ぶりの日本一を勝ち取った。04年に新庄がメジャーから帰国し入団。野球と言えば巨人という風土を、人気だけでなく先頭に立ってファンサービスをすることで、わずか1年で日本ハムに関心を向けさせた。
 そして05年に稲葉の入団。ヤクルトで3回優勝を経験したトッププレーヤーが、守備につく際に見せる全力疾走をはじめ、野球に対するひた向きさ姿を示すことで若手は大きな影響を受けた。日本ハムは焦らず待つことによって、常勝チームの柱を獲得した。
 10年でハムは6年目。ここまで4年連続打率3割をマークしている。8月で38歳だが、気力はますます充実している。通算2000本安打まであと310本。最近のペースなら40歳までには可能な数字だ。達成すれば、山本浩二外野手(広島)、新井宏昌外野手(南海、近鉄)に続いて3人目の法政大出身者の名球会入りとなる。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る