日めくりプロ野球 2月

【2月20日】2002年(平14) 苦難はここから始まってしまった…中里篤史、投手生命の危機

[ 2010年2月1日 06:00 ]

05年10月1日、プロ入り初勝利を挙げ涙ぐむ朝倉。09年時点で通算2勝。巨人で才能が開花するか
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らせん階段から足を滑らせたことが全ての運命を変えてしまった。中日2軍キャンプが行われていた、沖縄県読谷村の宿舎で00年のドラフト1位、中里篤史投手が右肩を亜脱臼。滑った際に慌てて右腕で手すりをつかんだ際に抜けてしまった。
 医師の診断は「関節唇および関節包の損傷」で全治3カ月。「投手生命の致命傷になりかねない。完璧に戻すのは難しいのでは…」とチーフトレーナーの表情は厳しく、首脳陣も「野手転向も考えないといけないかもしれない」。ルーキーイヤーの01年9月16日に巨人戦先発で1軍デビューし、150キロのストレートが魅力の右腕は期待された2年目にシーズン前から絶望のふちに落とされた。

 苦難のスタートはここから始まった。大けがから5カ月が過ぎてようやくボールを握る許可が下り、軽いキャッチボールができるようになったが、ある程度力を入れてマウンドから投げられたのは、すでに年末だった。
 無理せず徐々に治していった中里は、復活を期して03年の沖縄キャンプに参加。約1年ぶりにブルペンで投げたが、今度は右ひじと腰に痛みが走った。怖さから右肩をかばいながら投げていたため、別の場所に負担がかかってしまったのだった。
 2年間、全く試合に投げられないまま03年11月には右肩関節血腫が見つかり、1月に右ひじ遊離軟骨除去などとともに手術。10日に1度のペースでブルペンに入れるようになったころには、4年目のシーズンはとっくに終わっていた。
 背番号28から球団の登録投手の中では一番大きい70番になって2年目の05年、ようやく再起への手応えを感じることができた。最初のケガをしてから、最多の70球を投げたのが3月。5月には実に3年8カ月ぶりに打撃投手を務めた。8月には実戦形式のシート打撃に登板。カーブを交えるなど変化球も投げることができた。
 そして8月21日、ナゴヤ球場でのウエスタン・リーグの対広島戦で1428日ぶりに試合のマウンドに立った。先発を誰にしようか迷っていた、佐藤道郎監督に「中里をいい条件で使ってあげて下さい」と申し出たのは、先輩の小笠原孝投手と同期入団の岡本真也投手だった。
 世話になった医師、看護師、そっと見守る両親が観戦する中で1回を投げた。3安打1失点という結果だったが、直球の最速は148キロをマーク。「お客さんがいて、相手のバッターがいて、キャッチャーがいて…。ここに戻るためにやってきた。お世話になった方々に投げる姿を見てもらいたかった」という思いを込めて投げた渾身の20球だった。
 同年10月1日の広島戦でプロ初勝利。06年に13試合に登板、日本シリーズでも投げたが、その後も左ひじを骨折するなどのアクシデントに見舞われ、09年オフについに戦力外通告された。
 2度目の試練を迎えたが、救いの手を巨人が差し延べて入団した。2010年はプロ10年目。困難の連続の中で、ここまで生き延びてきた右腕が、また険しい道のりを通り抜けることができるかどうか。中里は4つ目の背番号63で再起を誓っている。

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