日めくりプロ野球 2月

【2月19日】2003年(平15) 史上最速28日で退団 ロバート・ローズ「情熱なくなった」

[ 2010年2月1日 06:00 ]

公式戦では見ることができなかったローズのロッテでのユニホーム姿。横浜時代の背番号23から4に変わっていた
Photo By スポニチ

 史上最強助っ人の一人に数えられる35歳の内野手の再来日は、わすか28日であっけなく終わった。「私生活の問題もあったが、ひと言で言えば野球への情熱がなくなった。グラウンドで150%の力を出すのが野球選手。それが出せなくなったということ」。
 横浜退団から丸2年。ロッテに復帰したロバート・ローズ内野手はやつれた表情で淡々と退団理由を口にした。成田空港で行われた会見では、ほとんど質問を受け付けず、一方的にしゃべった。「自分も憤慨しているし、ファンも憤慨しているだろう。自分も家族も日本は大好きだが、野球をするために戻ってくることはもうない」というセリフを残して、そのまま機上の人となった。

 鹿児島キャンプ初のフリー打撃で、62スイング中場外弾2発を含む15本を叩き込み「以前と何も変わっていない。いやそれ以上にパワーアップした」と、横浜時代の同僚波留敏夫外野手が舌を巻いたが、これが実戦となるとそうはいかなかった。
 紅白戦3試合で8打数無安打。ストレートはバットに当てることができるものの、変化球への対応は横浜在籍7年で6度3割台を記録した打者とは思えないほど、目がついていけなかった。
 頭を丸刈りにし、ベイスターズの時はほとんど見なかった相手投手のビデオを取り寄せてチェックするなど、復活にかける意気込みはものすごかっただけに、かつての自分のプレーのイメージと現実のギャップに本人が一番苦しんだ。17日に「ワイフに会いたいんだ」と球団に訴えて緊急帰京。精神的に追い込まれている様子ははっきりと分かる状態で、この時退団の予感を山本功児監督にはあった。
 加えて、家族の問題もあった。新居は本拠地千葉マリンスタジアムに近い千葉県浦安市のマンションだったが、横浜と違い夫人が「知り合いがいない」と悩みを打ち明け、子どもたちも東京のアメリカンスクールになじめないでいた。
 ローズの入団は山本監督が直接かかわっていた。29年もの間優勝から見放されていたロッテだが、山本監督は球団の外国人補強の見る目のなさを痛感、自分の目で確かめることを前提に、シーズン終了後、スカウト活動をした。
 娘が通う高校の野球部のコーチをしながら、ウエートトレーニングを欠かさず続けているローズの近況を耳にした山本監督は自ら渡米。実際にノックをして、軽快な守備を見せる姿に「まだやれる。ブランクを埋めるのにそう時間はかからない」と判断。年俸8000万円という、横浜時代のキャリアを思えばリーズナブルな額で契約にこぎつけた。
 それだけに落胆は大きかった。4番・二塁を予定していた選手が、オープン戦すら出場せずに目の前からいなくなったことに「ローズだけで打線を組むわけではない。球団からは新しい外国人の補強の了承を得ている」と話したが、構想が大きく崩れたショックは否めなかった。
 ローズの代役として獲得したのが、ホセ・フェルナンデス内野手。韓国SKで02年に45本塁打、107打点を記録も、交渉でもめて米国帰国後も、大リーグに復帰できず、くすぶっていたドミニカ出身のパワーヒッターを応急処置で獲得した。
 後に西武、楽天の主砲として活躍したフェルナンデスだが、ロッテでは126試合で3割3厘、32本塁打100打点も、山本監督が退いたため、バレンタイン新監督の構想に入らず、自由契約に。1年目とその後の数字を見れば、ロッテでの活躍も予想できたはずなのだが、縁がなかったというべきか。ローズほどではなかったが、短い付き合いに終わった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る