日めくりプロ野球 2月

【2月12日】1989年(平元) いきなり5連発!アップショー 初日から“一発ショー”

[ 2010年2月1日 06:00 ]

カッとなりやすいことでも有名だったアップショー。なかなか思うような打撃ができずイライラも募った
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 常夏の島の真っ青な空を背景に白球が次々と場外に着弾した。右越えの次は右中間へ、そしてまた右翼へ。「心配と期待が入り混じっていたが、やるねぇ。頭が前に突っ込まないのがいい。30発はいけるだろう。4番?任せられるね」。ダイエー・杉浦忠監督がホッと胸をなでおろした。

 南海から福岡ダイエーにチームが変わって1年目。福岡行きを拒んだ門田博光外野手がオリックス入りしたことで、4番打者を探していたホークスがたどり着いたのが、メジャー10年で123本塁打のウィリー・アップショー内野手。83年にはトロント・ブルージェイズで27本塁打104打点、打率3割6厘の好成績を残した現役バリバリの大リーガーだった。
 ハワイ・カウアイ島でのキャンプに合流して2日目のこの日、初のフリー打撃で見せた特大アーチ。5連続を含む10本をスタンドへ場外へと放り込んだ。しかも「球場が狭い(両翼93メートル)」というので、アップショー自ら打席を5メートル後ろに移すことを提案しての豪快弾の数々だった。
 翌日は推定飛距離155メートルの場外アーチが、車に直撃してしまった。持ち主が球場に乗り込んできてさあ大変、と思いきや「あそこまで飛ばしたのは誰だ。今までそんなヤツはいない」と感激し、アップショーにサインを求めた。球団は修理代を支払うと申し出たが、「ウチは自動車修理工場だ。普通なら100ドルかかるが、ホームランに免じて負けとくよ」と上機嫌で帰っていった。
 FAになっていたアップショーにいち早く接触したのがダイエーだった。阪神も後に続いたが2年総額4億円という破格の条件がモノをいった。新球団のフロントが不慣れだったため、米コミッショナー事務局に身分照会せずに交渉したことで、一時問題がこじれたが、ダイエーのアップショーに対する厚遇は他球団も驚くばかり。本人は本拠地福岡でホテル生活となったが、家族は子供をアメリカンスクールに通わせるため神戸に住むことに。夫人と8歳の長男を筆頭に3人の子供が住むのに家賃50万円の一軒家を借りた。この一軒家、実はかつて阪神のランディ・バース内野手が生活していた家だった。
 期待通り33本塁打を放ったが、打率は2割5分5厘止まり。勝負強いとされていたが、打点は本塁打の割りに80打点止まりと物足りなかった。愛妻家ではあったが、4人目の子供を妊娠した夫人の世話をするとして試合を欠場したり、遠征中も移動日もチームと一緒に行動しないこともしばしば。試合のない日の練習は決まって休んだ。
 日本ハム戦で乱闘事件を起こし、その際に指を骨折してシーズン終了間際に帰国。2年目は1年目以上に視力の衰えが目立ち、51試合で2割2分、6本塁打と低迷。7月に入りチームが、メジャー300セーブの抑え投手のリッチ・ゴセージ投手獲得を決定。外国人枠の問題で、アップショーへファーム行きを通告すると「33歳のオレがファームに行って何も学ぶことはない」と拒否。そのまま退団につながった。
 引退後は球界から離れた後、ブルージェイズやサンフランシスコ・ジャイアンツで打撃コーチを務めたが、ホークスにとっては福岡に移って最初の年に在籍した外国人だけに良きにつけ、悪しきにつけ、印象深い選手だった。

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