日めくりプロ野球 2月

【2月21日】1991年(平3) 内之倉隆志、ドタドタでもバタバタでも指揮官は「いいねぇ」

[ 2009年2月1日 06:00 ]

91年10月10日、西武戦でプロ初安打を放った内之倉(左)は清原和博一塁手に声をかけられた
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 体重はベストのなんと15キロオーバー。走ればドタドタ、飛球が上がればバタバタ…。他のナインからの冷たい視線を背中に感じた紅白戦デビューとなったのは、ダイエーにドラフト2位で入団した、鹿児島実・内之倉隆志三塁手。甲子園での4本を含む高校通算39本塁打のスラッガーだったが、この日は2打数無安打。鈍足が災いしての併殺打、失策はつかなかったが飛球を遊撃手と“お見合い”し、内野安打と全く精彩を欠いた。

 1打席目、バットをへし折られた遊ゴロ。親子ほど年の違う41歳の球界最年長投手・今井雄太郎投手のえげつないシュート攻めに絶句した。18歳のスーパールーキーは、目を白黒させて言った。「今井さんの投球はフリーバッティングの時とは全然違った。あんなシュート見たことありません。バット折れた?これで7本目です。持ってきたのは10本。あと3本しかないんですよ…」。
 第2打席もボテボテの三ゴロ。足はプロ野球選手としては鈍足の部類に入る50メートル7秒、全力疾走しているつもりでも周りからは“一生懸命走っているのか?”と言われそうなくらい遅かった。
 郷土・鹿児島の英雄、西郷隆盛にちなみ、その1文字をもらって隆志と名づけられた。“西郷どん”に似て、おおらかな雰囲気が漂っていたが、厳しい勝負の世界では「緊張感がないように見える」とも。しかし、こちらも内之倉に負けず、おおらかな田淵幸一監督は、ピリッとしない新人の姿を余裕の笑みを浮かべながら見ていた。
 「いいねぇ、あのお尻。太さん(元西鉄・中西太三塁手)二世だな。細かいことを言わず大きく育てなきゃ。並みの新人とモノが違うんだから」。キャンプ初日にインコースを見事にさばき、スタンドインさせた打撃にホレ込み1軍帯同を決めた指揮官は、長い目で内之倉を育てながら使う方針を固めていた。
 オープン戦でも満足な結果は出せなかったが、開幕1軍メンバー入り。球団は地元九州出身のスター候補を集客の“戦力”としてみていたからだった。
 初出場は4月9日、藤井寺球場での近鉄1回戦。9回に代打で登場し、佐野重樹投手に三振に仕留められた。開幕2連勝で好スタートを切ったダイエーだが、その後4連敗。結果が求められる2年目の田淵監督も育成目的で新人を上に置いておくことはできなかった。開幕10日後にはファーム落ち。シーズン終了間際の10月にテストを兼ねて再登録され、初安打を放ち、8打数2安打4三振、打率2割5分で1年目を終えた。
 ルーキーイヤーこそ優遇されたが、2年目からはプロの厳しさを嫌と言うほど味わった。2年目からは1軍からお呼びがかからず、米マイナーリーグ留学、捕手転向…毎年といっていいほど、プロで必死に生きる道を探し続けた。
 アクシデントも痛かった。94年、ウエスタンリーグで1シーズンで2度、顔面に死球を受けたことで動体視力が低下。自慢の打撃に影響を与えた。甲子園を騒がせた強打者がようやくプロ初本塁打を記録したのは8年目。プロ初スタメンとなった98年7月27日の近鉄19回戦(大阪ドーム)で香田勲投手から放った左中間への一撃だった。
 通算118試合出場、40安打、2本塁打で02年に引退。以後、ホークスでブルペン捕手を務めている。背番号117が、その昔甲子園を沸かせ、ドラフト時に3球団が競合した人気者だったということを知らない若いファンも多くなった。

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