日めくりプロ野球 2月

【2月13日】1995年(平7) 減量してもクビ!?トラックスラー、再就職先は少年野球教室?

[ 2009年2月1日 06:00 ]

94年、オリックスとの開幕戦で満塁本塁打を放ったトラックスラー。手首が柔らかく、逆方向にも撃てる器用さがあったが、一発を狙いすぎてフォームを崩した
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 7年ぶりの現場復帰となったダイエー・王貞治監督は、豪州・ゴールドコーストでのキャンプ中、ずっと外国人打者補強問題で悩んでいた。思うような選手が獲得できず、94年に在籍したケビン・ライマー外野手と、1度は解雇確実だったブライアン・トラックスラー内野手の条件付き残留を決定した。
 王監督がトラックスラーに付けた条件、それは「1年間、シャープに乗り切れる体力づくり。体を絞ってもらう」というもの。体重が120キロ近いといわれるトラックスラーに走り込みなどによる減量を指令した。
 根本陸夫前監督が付けた愛称「コロコロちゃん」が表すように、1メートル75の身長ながら、体重は超ヘビー級。ドジャース3Aから年俸5000万円の格安で来日した時は優に110キロは超えていた。
 「1日で1ケースを飲んだことがある」という大のビール好きが災いしたもので、日本でも「瓶ビールならアサヒスーパードライ、缶ならサッポロドラフトがサイコー」と銘柄指定で飲みまくった。
 しかし、球団からのビール節制命令とシーズン中に福岡ドームまでマウンテンバイクで“通勤”したことしで、開幕前には何とか100キロまで減量。その効果も出て、開幕戦で満塁本塁打を放つなど、5月まで打率3割4分をマーク。メジャー134本塁打を放ち、西武入りしたマイク・パグリアルーロ内野手を取り損なって急きょ補強した助っ人は、首位戦線を走るダイエーの前半戦のけん引車となった。
 しかし、カウボーイスタイルを愛好する陽気な27歳は、すぐに気を抜き、大好きなビールを勝手に“自主解禁”しまた増量。「体重がある程度ないと、パワーが出ない。俺は子どもの頃からこんな体形で野球をやってきたが、何の問題もなかった。心配しないでくれ」と笑っていてたが、案の定夏場になると体力がガタ落ち。前半戦の活躍がウソのようにバットが湿った。
 終わってみれば2割6分3厘、15本塁打、62打点とバッティングがウリの助っ人としては物足りない数字が残った。トラックスラーの失速でチームも下降線をたどり、近鉄にわずか6毛及ばず4位。17年ぶりのAクラス入りを逃した。
 根本前監督は愛敬のある「コロコロちゃん」を可愛がったが、巨人の監督を追われて以来、満を持して再登場した王監督にとっては、トラックスラーの締りのない生活態度は問題外だった。減量指令をしても、よほどのことがなければ使う気はなく、球団からの新助っ人獲得の一報を待った。程なくメジャー220本塁打、ナ・リーグMVPと2冠王の経験があるケビン・ミッチェル外野手の入団が決定。自動的にトラックスラーは職を失った。
 失意のトラックスラーにチームが与えた選択肢の1つが、なんと球団が開く少年野球教室の講師だった。福岡ドームではカウボーイ姿で相手をやっつける漫画が打席に入るたびにスクリーンで上映され、キャラクターグッズの人形がチームで一番売れた人気者。そこに着目して選ばれたものだったが、わずか9試合1安打とはいえ、20代の元メジャーリーガーには失礼な話だった。
 結局、米国に帰国しドジャースのマイナーに復帰。一時、広島から入団の打診があったようだが、まとまらずに台湾プロ野球入りした。引退後はドジャースのファームで巡回打撃コーチなどを務めたが、04年11月に37歳の若さで急死した。命を奪ったのは大好きだったアルコールで、肝硬変によるものだったという。
 トラックスラーを切って獲得したミッチェルも開幕戦でグランドスラムを放つ華々しいデビューを飾ったが、こちらはサボり魔で解雇。2人ともはじめの印象が強かっただけに、ファンの間では忘れられない助っ人として記憶の中に残る選手となっている。
 

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