日めくりプロ野球 2月

【2月10日】1978年(昭53) 片道わずか1220円 ライオンズ、2次キャンプは電車とフェリー

[ 2009年2月1日 06:00 ]

風変わりな電車移動楽しんだハンセンはクラウンの2年間在籍。通算31本塁打、98打点、打率2割7分1厘の成績を残した
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 各球団のキャンプも中盤。チームによっては場所を変えて2次キャンプを張るところもかつては多かった。本拠地・平和台球場で基礎体力強化に重点を置いた調整をしてきた、クラウンライター・ライオンズ(現西武)はこの日、1次キャンプを打ち上げ。恒例の長崎・島原の2次キャンプに向かった。
 同じ九州の中での移動。飛行機や特急電車で行くこともないが、専用バスをチャーターしてというのが移動手段としては妥当な選択だが、この年のライオンズはなんと在来線とフェリーを乗り継いで島原まで行った。

 西鉄福岡駅からフェリー乗り場のあった福岡・大牟田まで根本陸夫監督以下、スタッフ、選手約70人が普通電車に揺られること約1時間。「財政厳しいからねえ。まあ、遠い異国に行くんじゃないから、ちょっとした旅行気分でいいでしょ」と、約4時間、片道1220円の“旅”を楽しむかのように根本監督は笑った。
 特別待遇を要求しがちの外国人選手だが、この風変わりな移動は逆に大はしゃぎ。中日時代は“奇行”が話題に上り、その扱いにくさが問題となった、ウイリー・デービス外野手はつり革を握って立つと、車窓に映る景色を堪能。英語が分かる乗客を見つけると、水を得た魚のように次から次へとまくし立てた。
 もう一人の助っ人、ハンセン内野手は6人がけのいすに座って、しきりに横にいる女子高生らにウインク。鼻の下にひげをたくわえたひょうきんな元メジャーリーガーは、突然片言の日本語で「ゲンキデスカ?」と問いかけると、女子高生はビックリ。無邪気にキャーキャー声を上げる姿を見て、を叩いて喜んでいた。
 6年前、西鉄から球団を譲渡された福岡野球株式会社の返済の見込みのない借金は10億円超。キャンプの移動一つをみても分かるように、ライオンズはその日の運営費にも困るほどのチームだった。クラウンライターはオーナー会社ではなく、年間1億円を出資して球団名を買っている「ネーミングライツ」だけの関係で、球団経営にはノータッチ。困窮しても親会社からの援助が全くないチームは、すべての経費を抑えた上で、さらにこうでもしないとやっていけないのが実状だった。
 頼みの入場料収入もBクラスにどっぷり浸かっては増収も見込めず、遠征先でも選手には食事も提供できず、アメリカのマイナー選手のように球団から1000円程度の「ミールマネー」が手渡されて、それぞれで調達するといったありさま。練習用のボールにも事欠き、今だから言える話だが、足りない分を補うために、平和台での試合で他球団の刻印が入ったボールを打撃練習などでファウルを打ったり、スタンドインした際にそのまま頂戴し、使っていたことさえあった。
 これが10カ月後、100億円近い投資をして買収された西武ライオンズに生まれ変わろうとはこの時点で誰も思わなかった。電車とフェリーでとぼとぼとキャンプ地へ移動した根本監督らはその丸1年後、1億円を投じた米国フロリダのブランデントンでの2次キャンプに飛行機で海を渡った。ライオンズは太平洋クラブの時代に2年間台湾キャンプを行ったことはあったが、ドジャースやフィリーズなどメジャーリーグ各球団も集まる温暖の地でスプリングキャンプを張るのは初体験。あれだけケチっていたボールも、漫画家・手塚治虫デザインのレオマークが印刷されたものがふんだんに供給された。
 急速に環境を変え、選手を代えていったライオンズはわずか4年でチームの建て直しに成功。以後、常勝軍団として80年代は、盟主巨人から球界の王座を奪い取った形となった。
 08年から西武は西鉄ライオンズの復刻版ユニホームで公式戦を戦い、09年は融合させた形で新ユニホームを発表した。しかし、太平洋、クラウン時代の“暗黒の6年”にスポットが当たるケースはほとんどない。ライオンズ60年の中で、失われた6年である。
 

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