日めくりプロ野球 2月

【2月5日】1988年(昭63) ホークス選手会長・吉田博之“塀際”でアウト!

[ 2009年2月1日 06:00 ]

人気者の“ドカベン”香川を押しのけて80年代のホークス正妻として活躍した吉田(右)。ダイエーに籍を置いた後、阪神へ移籍した
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 かつては軍港の街として栄えた、広島県呉市。暗闇の中で塀(へい)をよじ登って南海ホークスがキャンプの宿舎にしているホテルに侵入しようとしている人影がタクシーのヘッドライトによって照らし出されたのは、時計の針が2月5日の午前1時50分を回った時だった。
 「泥棒か?」客として乗車していたスポーツ紙のカメラマンは、職業意識でかたわらにあったカメラを手に取った。車を止めて降りてみると、やはり誰かいる。身長1メートル80近くはある男だ。高さ約2メートルの塀をヒョイっとよじ登ると、第2関門のそれほど高くない塀を乗り越えて、2階から建物内に入ろうとしていた。

 照明代わりに、タクシーの運転手が男に向かってライトをあてた。カメラマンはシャッターを切った。その瞬間、振り向いた男の顔は紛れもなく見覚えのある“イケ面”だった。「あれは南海の吉田(博之)選手会長…」。驚いている間に、選手会長はホテル内に白のポリ袋を持って消え去った。
 翌2月6日付のスポニチ4面には「吉田選手会長が門限破り」の見出しとともに、その“証拠写真”がでかでかと載った。見出しの通り、呉の居酒屋でほろ酔い気分になった吉田は決められた午後11時の門限を3時間近くオーバーして宿舎へ戻ってきた。5日は練習が休み。その開放感も手伝って、つい杯を重ねてしまったようだ。白いポリ袋の中には、部屋の鍵を開けて待っててくれる後輩への感謝の土産なのか、たこ焼きが入っていたという。
 キャンプ中の門限破りはプロ野球の世界ではしばしば耳にする話。その昔、西鉄の4番打者・大下弘一塁手は朝帰りした後、ほとんど寝ずに練習していたという伝説は有名。あの2215試合連続出場記録をもつ広島・衣笠祥雄三塁手でも門限破りの逸話があるほどで、チーム内では多少のペナルティは食らうが、問題はそれほど大きくならないのが慣例だった。
 しかし、今回は新聞に出てしまった。それも選手の模範となるべき選手会長自らの規則違反。放任主義の杉浦忠監督もさすがに見過ごすわけにはいかなかった。球団は吉田に罰金5万円。5日間の外出禁止を通告。「すべて自分が悪い。言い訳はしません」と吉田。これが影響したのか、キャンプ前半は精彩を欠き、正捕手の座も危うくなってきた。
 それでもさすがプロ10年生。きっかけをつかむと、むしろふっ切れたように大爆発した。キャンプ終盤の紅白戦でエースの山内孝徳投手から満塁本塁打を放つと、西武、阪急とのオープン戦でも2連発。そのまま調子をキープし、シーズンに突入すると、10年目で初のオールスター戦にも出場した。
 名門横浜高校の出身。遊撃手だったが、1年生左腕・愛甲猛投手(後にロッテ)のストレートを捕球できる選手が吉田しかおらず、夏の大会直前の6月に捕手に転向。甲子園に出場した。2回戦の徳島商戦で本塁打を放ち、そのバッティングと肩の強さが目に留まり、南海が78年のドラフトで4位指名した。
 甘いマスクと強肩で“梨田2世”とも呼ばれた。地味な南海には珍しく、女子高生らによる親衛隊も結成され、ファンレターもコンスタントに届き、中には手編みのセーターのプレゼントまであった。
 選手会長門限破り事件の翌年ホークスは福岡ダイエーとなり、キャンプ地も8年続いた呉からハワイ・カウアイ島に代わった。ツワモノ揃いだったかつてのホークスの“伝統”の名残が垣間見られた、今では笑い話の最後の事件だった。

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