日めくりプロ野球 2月

【2月4日】2003年(平15) 準備は着々 1軍キャンプに“稼頭央2世”中島裕之

[ 2009年2月1日 06:00 ]

03年8月5日、ダイエー戦で3年目でプロ入り初本塁打を放った中島。ドラフト5位入団も今では球界の顔の一人になった
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 03年オフにメジャー挑戦が確実視されていた西武・松井稼頭央遊撃手の後釜探し--。これがライオンズのキャンプの大きな課題だったが、伊原春樹監督の頭の中には1人の内野手がいた。
 3年目弱冠20歳の背番号56、中島裕之内野手。プロ入り後、投手から転向、打撃も粗く、守備に関してはファームで25失策(02年)とプロレベルではなかったが、「打撃に華がある」とみた伊原監督の中で妙に印象に残る選手だった。

 前年の02年、4年ぶりのリーグ優勝を遂げた西武は消化試合となった日本ハム28回戦(東京ドーム)で「5番・DH」で中島を起用。期待に応え、プロ初打席で右前打を放った。4試合7打数1安打と打ちまくったわけではないのに、右方向へ逆らわず弾き返したバッティングに伊原監督は魅力を感じた。高知・春野での2次キャンプメンバー決定のこの日、「時期尚早」という一部スタッフの反対を押し切り中島の1軍入りを指揮官は決めた。
 中島と松井、この2人には共通点があった。高校時代はいずれも投手だったこと、足が速くバッティングセンスが頭抜けていたこと、担当したのは元ライオンズの外野手だった鈴木照雄スカウトだった。兵庫・伊丹北高時代、中島のマウンドでの姿、フィルディング、ダッシュに鈴木スカウトは「稼頭央が重なった」。これだけでも内野手でいけると直感したが、バットを持てば通算43本塁打と打撃も見所があった。幸い重点マークしている球団はなく、リストにすら入っていないチームもあった。獲得に懐疑的なスタッフもいたが、鈴木スカウトの熱意と押しでドラフト5位ではあったが指名された。
 1年目、その才能にまず気がついたのは、伊原監督の後を受けて04年から指揮を執った伊東勤捕手だった。プロ20年目で初の2軍スタートとなった伊東は中島とティーバッティングのコンビを組むとそのスイングから「打撃センス抜群。うまく育てばリーグを代表する打者になる」と直感した。
 2年目にはファームではあったが、全100試合にフル出場し、11本塁打、47打点はチーム2冠王に輝き、1軍への道は広がった。
 伊原監督の抜てきに応え、、03年の開幕1軍入りを果たした中島は1度抹消されたものの、上の雰囲気を体感できたことは大きかった。8月に入り再度1軍に登録されると、見違えるように成長していた。
 8月3日、イースタンリーグの試合に出場するため、東京・大田スタジアムにいた中島に「すぐに西武ドームに来い」と連絡が入ったのは昼前。背筋痛の平尾博嗣内野手との入れ替えだった。ビジター用ユニホームのまま所沢へ向かい、急いでホーム用のに着替えると、ミーティングに参加。いきなり「6番・DH」のスタメンを言い渡された。
 訳が分からぬまま、日本ハム21回戦に出場。2安打を放ち、初打点となる2打点も記録。チームの勝利にお立ち台に初めて呼ばれたが、何を聞かれても「今は無我夢中です」と答えるのがやっとだった。
 勢いは止まらない。5日、自力V消滅寸前の西武はダイエーと福岡ドームで対戦。「7番・三塁」でスタメン出場、この試合で松井稼と初めて三遊間を組んだ。第1打席で寺原隼人投手からプロ1号となるソロ本塁打を放ち、再び勝利に貢献した。「まぐれじゃない。技術的にしっかりしてきた。何より球に踏み込み、向かっていく姿勢がいい」と伊原監督も絶賛した。
 以後の活躍は周知の通り。04年に全試合フルイニング出場で西武の顔となった。「同じ背番号3、ナカジマとナガシマで似てるし、後輩みたいなもの」と長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督に声をかけられたことが励みになった。
 08年は北京五輪出場、日本一に加えシリーズ優秀選手、課題だった守備でゴールデングラブ賞を受賞し、まさにプロ野球を代表する1人となった中島。次はWBCでの活躍が期待される。“稼頭央2世”といわれた男は、完全にそのキャッチフレーズから脱却し、中島裕之という独自のスタイルを確立した選手となった。

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