日めくりプロ野球 2月

【2月1日】2004年(平16) 球春到来!落合中日、いきなり紅白戦 川上憲伸147キロ

[ 2009年2月1日 06:00 ]

9カ月ぶりの登板で復活をアピールした川上。この年17勝をマークしMVP、最多勝などあらゆる賞を総ナメした
Photo By スポニチ

 12球団がほぼ一斉に各地でキャンプインする2月1日。一部の若手を除いては、まだまだウォーミングアップ状態の初日だが、中日の沖縄・北谷キャンプだけは違っていた。
 小雨が降るグラウンドでは試合用のユニホームを着た選手が、それぞれ一、三塁側のベンチに分かれて座っていた。時間になると一方のチームは9人がそれぞれのポジションに散り、一方はヘルメットをかぶって打席に向かった。マウンドには川崎憲次郎投手、打席には立浪和義三塁手。シート打撃?いや、そんな雰囲気ではない。すると審判の声が球場中にこだました「プレイボール!」。

 中日のキャンプ初日はなんと紅白戦でスタートした。プロ野球創設の1936年以来、70年近い歴史のある中日にとって、もちろんこんなことは初めて。しかも若手が主体ではない。いきなりプロ16年目の川崎と17年目の立浪が対戦。集まった解説者たちも「この時期の紅白戦なんて聞いたことがない」と驚き、中には「監督は何を考えているんだ。焦ってけが人を出すだけだ」と怒りをあらわにするOBもいた。
 何を考えているんだ、と非難されたのは新任の落合博満監督。突然の思いつき?話題提供?だがそういう性格ではない。秋季キャンプ中、落合監督は選手に対しひそかにこの日の“開幕戦”を予告していた。「激しい競争になる。キャンプインの日は過去の実績もキャリアも何も関係ない。横一線」と、試合で力量を見ることを通告。それぞれが沖縄での“開幕戦”目指し、自主トレから調整を続けてきた。
 圧巻だったのはエース川上憲伸投手。白組4番手で登板し、福留孝介右翼手に対し、初球145キロ、2球目147キロを計測。最後はフォークボールで3球三振に仕留めた。03年5月に右肩関節を痛めて戦線離脱して以来の実戦登板も3者凡退に抑えた。
 「本能で打者相手に投げるとカッとなっちゃう。これでも飛ばさないように遊び感覚をもって投げたんだけど…」と川上。復活を期するマウンドは明らかに気合いが入っていた。けがでまともに投げられなかった03年。落合監督の言う「過去の実績もキャリアも何も関係ない」はまさに川上をはじめとした主力選手に向けての言葉だった。
 川上の気迫の投球が象徴するように、抑えの岩瀬仁紀投手は143キロを投げ、野口茂樹、紀藤真琴らのベテラン、ルーキーの川岸強投手まで、5回までで計10人が登板。2安打以上打たれる投手は皆無だった。
 指揮官の予想をはるかに上回る出来だった。「大人ですよ。みんな何をすればいいか分かっている。(1軍投手陣の)11人、12人の枠に入るためにはエースクラスもウカウカしてられない。そういう気持ちでやっているからこれだけの結果が出る。プロ選手としての意識が高い。それに尽きる」。辛口の落合監督がいつになくじょう舌だった。
 確認できる範囲では、1962年(昭37)に東映(現日本ハム)が、キャンプ初日に紅白戦を実施。当時の野球関係者は「仕上がりが早すぎても開幕にピークにならなければ仕方ないし、けが人も心配」と眉をひそめたが、結局開幕から首位を譲らず、水原茂監督率いるフライヤーズは球団創設以来初優勝を遂げた。
 偶然か否か、中日もこの年5年ぶりのリーグ優勝。当時の東映は勢いに乗った感が強かったが、04年の中日は落ち着いた雰囲気の漂う大人のチームだった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る