日めくりプロ野球 2月

【2月20日】1970年(昭45) “太田殿下”が初登板 CMは世界のミフネと同額1000万円

[ 2008年2月16日 06:00 ]

紅白戦とはいえ、ピンチを迎えた太田(右)に駆け寄った辻(背番号8)は「ドーンとこいや」と、殿下の気持ちをリラックスさせた
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 甲子園で初めて投げた時と一緒だった。足が震える。周りからはそう見えないほど小刻みだが、自分では震えているのが分かった。
 近鉄のルーキー、太田幸司投手。1ケ月前に18歳になったばかりの元祖・甲子園アイドルは、この日紅白戦ながら、初めてプロの世界で実戦デビューした。宮崎県延岡市の西階(にししな)球場、金曜日の午後。市の中心部から外れた場所にもかかわらず“太田殿下”の登板を予想して観客は1万人近く集まった。
 “ストライク、入るかな?”そう思うと唇まで震えてきた。でも、逃げることはできない。そんな時、マウンド上の背番号18は名将・三原脩監督の言葉を思い出した。「マウンドに立ったら、自分が一番だと思って腕を振りなさい」。
 太田は初めて顔を上げた。打者は同じくルーキーの西村俊二遊撃手。視線は鋭かった。同期入団といっても、西村は社会人・河合楽器出身、太田より4つも年上。高校も卒業していない小僧にやられるわけにはいかなかった。
 外角低めのストレートで2球続けてストライクを取った。気分は楽になった、はずだったが、ここから西村を四球で歩かせ、続いて北川公一一塁手には右前打を浴びた。
 足の震えはなおも止まらない。そんな時、捕手の辻佳紀が小走りにマウンドへ駆けつけた。「そろそろ牛耳ろうや。大丈夫。ドーンとこいや」。ヒゲずらの8年目のキャッチャーは笑顔で、尻をミットで叩いた。この年阪神から近鉄へ移籍。「オレも近鉄ではルーキーや。よろしく頼むで」と入団して最初に声をかけてくれたのが、この“ヒゲ辻”。先輩のひと言でようやく腕が振れるようになった。
 2回を2安打2四球。犠飛で1点を取られた。「いつもの半分以下の出来。四球が多すぎた」と中原宏投手コーチは顔をしかめたが、大物の片りんはみせた。13年目のベテラン阿南準郎内野手と、1打席目は歩かせた西村を三振に切って取った。「まずまずの出来でしょう。マスコミに連日追い回され、野球に集中できる環境でないことを考えれば」と三原監督は合格点を与え、オープン戦での1軍帯同を示唆した。
 1軍帯同は親会社の方針でもあった。青森・三沢高のエースとして69年夏、甲子園の決勝で名門・松山商高(愛媛)を相手に延長18回を投げ抜き無得点に抑えたものの、再試合では2-4で破れた。半世紀ぶりに決勝へ進んだ東北勢初の全国制覇の夢は絶たれたが、その“悲劇”と白系ロシアの血を引く甘いマスクは一躍全国の注目の的となった。
 西鉄(現西武)を除く11球団からあいさつを受けたことから、その実力は誰もが認めるところだったが、プロ側は「コーちゃん」と呼ばれる人気の方に着目していたことは事実。実際、太田が指名されたのは69年のドラフトで6番クジの近鉄。太田が密かに入団を希望していた阪神は2番クジでアンダーハンドの上田二朗投手(東海大)を指名。人気球団タイガースはアイドル選手より、巨人のV7を阻止すべく、即戦力投手を真っ先に獲得した。
 「近鉄って、何の会社ですか?」というのが、太田の近鉄に対する第一声だった。その言葉が象徴するように、知名度、人気という点で同じ関西の阪神の後塵を拝していた近鉄は、太田で球団のイメージアップと観客動員増を狙った。
 入団発表時に近鉄本社にはファンが殺到し、機動隊が出動、藤井寺球場での自主トレにはバファローズの練習にはあり得なかった女子学生の姿が9割を占めた。球団は太田の一挙手一投足を広報、それが宮内庁が天皇、皇后両陛下の動静をマスコミに伝えるように丁寧だったことから、太田にはいつのまにか「殿下」というコードネームまでついた。
 球団の狙い通り、太田の商品価値は高かった。紅白戦終了後、テレビCM出演が決定。松下電器と江崎グリコの2社がそれぞれ契約金1000万円と500万円で太田を“落札”した。
 当時、野球界でCMにといえば、巨人の長嶋茂雄三塁手と王貞治一塁手というのが定番だったが、ON揃い踏みでも契約金は800万円。1000万円といえば、俳優の三船敏郎、歌手の美空ひばりと同クラス。プロでまだ何もしていなかった弱冠18歳の投手は、芸能界のトップと早くも肩を並べてしまった。近鉄球団創設20年目にして初のCMタレントの輩出は、契約金の4割は球団の取り分というおいしい条件でもあった。
 オープン戦で2勝した太田の人気は春先にかけさらにヒートアップ。太田をモチーフにしたレコードまで発売され、CM出演したグリコのチョコは売り上げ倍増…。「コーちゃんフィーバー」の余熱はその後も数年続くことになる。

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