日めくりプロ野球 2月

【2月18日】1987年(昭62) “フランケン”内藤、堂々デビュー 若松、レオン斬り

[ 2008年2月6日 06:00 ]

抑えとしても活躍した内藤。勝利の瞬間の「ギャオー」の雄叫びはヤクルト黄金時代の幕開けの産声でもあった
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 土橋勝征内野手、飯田哲也捕手(当時、後に外野手)ら渋いバイプレーヤーがヤクルトに入団した87年。ドラフト3位の“フランケン”こと、内藤尚行投手は、初めから目立っていた。大詰めを迎えたユマキャンプの紅白戦で1軍相手に登板。1イニングを3人で仕留めた。
 先頭打者の2番・玄岡正充中堅手に高めに大きく外れるボール球を2球続けた内藤。緊張している様子はありありだったが、これで気持ちが楽になった。3球目を詰まらせて中飛に打ち取った。
 さて、ここからが貫禄十分、スワローズの顔が続く。まずは3番・若松勉左翼手。スライダーを2球続け、カウント1-1から投げたのは、自慢のストレート。若松はやや振り遅れて打球はショートへの平凡なゴロ。過去首位打者2回の“小さな大打者”を簡単に退けた。
 二死後、今度は大砲・レオン一塁手。1-1からの3球目、外角低めのストレートを強引に引っ張ったレオンの打球は、ベテラン角富士夫三塁手への正面のゴロ。わずか8球で、ヤクルトの主力クラスの打者を手玉に取る上々のデビューを飾った。「いい度胸しているね。高校生だし、まだまだだけど真っ直ぐに力がある。抑えでも使えるね」。新任の関根潤三監督の口元がほころんだ。
 「内容は70点の出来。最初の2球、力んでいましたから。それに100点と思ったら進歩がありませんから」と優等生の答えを口にした内藤。しかし、そのすぐ後に「あれっ、けっこうキザなこと言っちゃった」と舌をペロリ。内藤の憎めない性格がそのまま出ていた。
 小学校時代はソフトボールの選手。投手ではなく、外野手だったが、母親が「ウチの子にも投手をさせて」とコーチに頼み込み転向。以来投手一筋となった。豊川高2年生の85年秋には明治神宮大会に出場。1回戦で松商学園(長野)に0-1で惜敗したのが目立った成績で、甲子園出場はかなわなかった。実は内藤、高校入学時に愛知の名門・東邦高のセレクションに落ち、豊川に進学したという挫折も味わっていた。
 ルーキーイヤーの87年ユマキャンプに出発する際、「チームのみなさんに挨拶代わりに配るため」と出身地にある日本三大稲荷の名物ちくわを約100本持参。この風変わりな新人を先輩の選手は一発で覚えてしまった。
 キャンプイン後も先輩に可愛がられた。大きな身体に、大きな顔、靴のサイズが30センチからついたニックネームが「フランケン」。だが、ブルペンで投げるたびに雄叫びを上げるため、首脳陣が「ギャーオ」と呼び、それが変じて「ギャオス」となった。
 入団2年目の88年8月19日、阪神14回戦(神宮)で、リリーフとして5回を投げ1安打無失点でプロ入り初勝利。90、91年は2年連続開幕投手となった。90年代、最強といわれた野村克也監督率いるヤクルトの初期の投手陣を支えた1人として、ファンにとっては忘れられない存在だ。

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