日めくりプロ野球 2月

【2月12日】1998年(平10)  5億円投手ヒルマン「肩に小錦が乗っかられたようだ」

[ 2008年2月6日 06:00 ]

長嶋監督(後方左から2人目)ら首脳陣が心配そうに見つめる中、投球練習するヒルマン。数多い巨人の“害人”選手の中でも指折りの札付きになってしまった
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 キャンプでサボってもシーズンで結果を出し、チームの優勝に貢献したヤクルト・ホージー外野手は終わってみれば笑い話で済んだが、97年に2年5億円の契約でロッテから移籍した、エリック・ヒルマン投手には巨人首脳陣も笑えなかった。
 「15勝はする」と約束した97年、左肩の違和感を訴え続け、2試合で0勝1敗。巨人のBクラス4位の戦犯となった左腕は、契約最終年に復活を誓い、この日志願してフリー打撃に登板した。
 打者8人に78球。外野への飛球はわずか1本という上出来の内容に堀内恒夫ヘッドコーチも安堵の表情を浮かべたが、マウンドから降りてきたヒルマンは左肩をさすりながら、何度もこの言葉を繰り返した。「Pain(痛い)」。どれくらい痛いのか。ヒルマンは大真面目な顔で言った。「(大相撲の)小錦に乗っかられたような感じだ」。
 ものすごい例えように、堀内ヘッドもチームのトレーナーもあきれるしかなかった。トレーナーがみたところ「ただの筋肉の張り」というものだったが、ヒルマンは単身帰京を希望した。「帰京は来月に家族が来るため、自宅を片付けるのが目的。肩とは関係がない」。球団広報は話が大きくなることを恐れ、火消しに躍起となったが、第3クールが終わり、ぼちぼち実戦的なメニューに進もうかという中での緊急帰京はかなり不自然。ヒルマンの口癖とまでいわれた「肩の違和感」が理由でのキャンプ離脱は明らかだった。
 その後、宮崎キャンプには合流したものの、今度は池谷公二郎投手コーチに「80球を超えたら肩が重くなる」と100球未満での交代を要求。さらに「寒い時期はドーム以外では投げたくない」とまで言った。あきれる池谷コーチに「オレに調整を任せてくれれば、レギュラーシーズンは必ず結果を出す」と豪語した。
 「本人が痛いといっているのだから、仕方がない」と長嶋茂雄監督ら1軍スタッフは、ヒルマンに強く出ることはなく、結果として甘やかした格好となった。結局、オープン戦でも満足に投球できず、開幕は左肩痛のリハビリを理由に2軍暮らし。検査の結果、左肩を傷めていることは判明したが、診断結果にかかわらず球団は遅きに失した決断をようやく下した。
 一向に回復しない、というよりその気がうかがえないことで6月1日に解雇。切られたヒルマンはこう言い放った。「オレはジャイアンツに愛着がある。2年後に肩が治ったら、テストを受けて復帰する」。もう誰も相手にしていなかった。
 95年、ロッテ入団当初はこんな選手ではなかった。誘ったのはボビー・バレンタイン監督だった。メジャーで実績のあったフリオ・フランコ一塁手、ピート・インカビリア外野手とともに入団したが、大リーグ通算わずか4勝のヒルマンは2人の半額以下の報酬で契約した。日本円で契約金約2000万円、年俸5250万円プラス出来高だったヒルマンは「長年優勝から遠ざかっているロッテとともに僕も這い上がる」と日本で成功しようと必死だった。
 日本球界最長の身長2メートル8。遠征先のホテルのベッドでは小さすぎてエキストラベッドを付けないと眠れないなど、落ち着かない環境の中での1年だったが、シンカーとチェンジアップを軸に1年目12勝(9敗)で期待以上の結果を残すと年俸が倍増。96年は14勝(9敗)とさらに好成績を挙げ、ロッテ投手陣の柱となった。
 ヒルマンが変わりだしたのは2年目。もともとバレンタイン監督を慕ってのロッテ入りだったこともあって、江尻亮監督に代わるとチーム批判が目立つようになった。96年7月6日の西武13回戦(所沢)では、10勝目目前で交代させられ、リリーフ陣が打たれて白星が消えると大暴れ。自動販売機を蹴り飛ばし「みんなハードラックと言うけど、いつもそうだ。このチームが僕に何かしてくれたことがあるのか!」とキレた。9月28日に帰国の際には「広岡GMのもとではプレーしたくない」と言い切り、「日本一に出られるチームに行きたい」と発言。巨人、ダイエーの争奪戦の末、96年セ・リーグ優勝の巨人入りとなった。
 そんなに熱望して入った巨人だったが、ジャイアンツは最後の最後、帰国時まで恥をかかされた。帰国のチケットを用意し、通訳が成田へ見送りに行くことをヒルマンに伝えておきながら、本人はその前日に機上の人となってしまった。そうとは知らず、空港まで通訳は足を運んだが、姿を見せなかったため、もしやと思い調べたところ、出国が明らかになった。通訳の携帯電話の留守番電話には「ソーリー、ソーリー…(ごめんね、ごめんね)」と消え入りそうなヒルマンの声が録音されていた。
 05年にシーズン途中で巨人を解雇された、ダン・ミセリ投手は練習もせず、浅草見物をして帰国したが、ヒルマンもちゃっかり日光へ観光に出かけていたことも後に発覚。その後、口にしていた巨人のテストは受けず、一時古巣ロッテにテストの上復帰するという話も出たが、本人は来日しないまま。以来、その名前も聞かなくなった。

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