日めくりプロ野球 1月

【1月8日】1984年(昭59) 藤王を筆頭に中日期待の4新人が自主トレ開始

[ 2011年1月1日 06:00 ]

 正月気分も抜け、各選手の自主トレも始まるのがこの時期。中日が期待する高校出身の4人のルーキーがナゴヤ球場で基礎トレーニングを始めた。

 高校通算49本塁打、春のセンバツで11打席連続出塁の新記録を作ったドラフト1位、愛知・享栄高の藤王康晴内野手は、余裕の表情でダッシュに筋トレと次々メニューをこなしていった。

 「僕は昨年暮れに死ぬ思いをしましたから。早く1軍に上がりたいから、やることをやってチャンスをつかまないと」と藤王。年末に自ら村田広光トレーニングコーチのもとを訪れ、プロのトレーニングを体験。あまりのハードさに驚き、正月返上でランニングや腹筋背筋を鍛えるなど“予習”をしてきた。その成果はあったようで、他の3人が肩で息をする中で「さすが大物ルーキー。心がけが違う」という声が関係者の間からは聞かれた。

 藤王とは対照的に一番苦しそうだったのは、甲子園の春夏準優勝投手、横浜商高・三浦将明投手。「最後の腹筋と背筋で完全に参りました。ダウンです」と、追っかけギャルの数では藤王を上回ったが、甲子園のアイドルもファンの前で「疲れたぁ」を連発した。4位入団の愛知・東邦高、山田和利内野手も5位の日大藤沢高・山本昌広投手も同じようなもので、ついて行くのがやっと。「思ったより楽だった」という藤王以外は、グラウンドにへたり込んだ。

 2000本安打の金字塔をうちたて引退した、高木守道内野手の後を受け背番号1を付けた藤王は、早くも1年目から将来の中軸候補といわれる打撃を披露した。

 84年9月23日、広島と優勝争いを繰り広げていた中日は、ナゴヤ球場での広島23回戦を迎えた。8回、藤王はカープのエース、北別府学投手のスローカーブをとらえて、右中間へプロ初本塁打。これが起死回生の同点アーチとなり、中日は優勝戦線にとどまった。

 「カーブは狙っていた。二死走者なしだから三振してもという気持ちで振った」という藤王。ルーキーイヤーは主に代打出場で34試合、13安打2本塁打を放ち、打率は3割6分1厘。現役時代、“打撃の職人”と呼ばれた山内一弘監督も「リストの使い方がいい。打球の速さ、飛距離と素質は十分。経験を積めば必ずいいバッターになる」と太鼓判を押した。

 将来を嘱望された逸材はこのまま順調に成長するはずだったが、中日ではこの成績が最高のものとなってしまった。地元出身の有名人だけに周囲からチヤホヤされた上に、2年目以降、当初持っていたはずの野球に対して前向きな姿勢が見られず、苦手の守備練習を避けているうちに打撃練習もおろそかにするようになった。

 守備練習でさんざん注意された直後、反省もせずテレビゲームに興じる姿に「藤王はグラウンドで野球をやる資格がない」と憤る同僚選手さえいた。寮の門限破りに始まり、女性問題、酔ってケンカし前歯を2本折られ謹慎処分…。私生活の乱れはそのまま成績に直結した。

 結局、89年オフに小松崎善久外野手とともに日本ハムへトレード。「生まれ変わったつもりでやる」と意気込み、移籍した90年はオープン戦で「一本足打法」に挑み3割4分7厘をマークしそのままシーズンも活躍。スタメンの機会も増え過去最多の75試合に出場し4本塁打をマークした。

 新天地での飛躍になるはずだったが、東京に移っても野球に打ち込めなかったのは悔やまれる。移籍1年目のみの活躍で、92年に自由契約となり引退した。通算92安打10本塁打、打率2割2分。素材からすれば不完全燃焼もいいところだった。

 その後、運送会社に勤務し、軟式野球をしていた時期もあったが、家業の衣料品修整業を継ぐため退社。傷害事件を起こして名前が出た時は、「あの中日ドラ1の…」の形容詞が判で押したようについてまわった。

 広島、大洋と競合した上に中日がくじ引きで当てた三浦もプロでは16試合に登板したのみで未勝利のまま現役生活にピリオド。藤王も一時勤めていた同じ運送会社で第二の人生を送っている。

 山田は86年のジュニアオールスターでの本塁打も、88年のプロ入り初本塁打も巨人・桑田真澄投手からという“桑田キラー”としてドラゴンズファンに愛された。91年広島に移籍したが、96年に中日に復帰。プロ13年で227安打22本塁打102打点。守備の人のイメージが強いが、パンチ力もあった。引退後は中日コーチなどを歴任した。

 藤王が契約金5000万円で期待の星として入団した時、5位の左腕山本昌は契約金は半額の2500万円だった。

 藤王とともに計5人の選手と米国のルーキーリーグに参加した88年、山本昌は自分の力に限界を感じていた時期だった。しかし、この渡米が飛躍のきっかけとなった。1Aのオールスターゲームにも出場した山本は、8月17日に急きょ帰国。6年ぶりの優勝に向かって首位戦線を行く星野仙一監督は、教育リーグ13勝7敗、防御率1・55の山本をV1への秘密兵器に指定。帰国後、即1軍登録した。

 留学を終えた山本昌は完全に別人となっていた。8月30日、ナゴヤ球場での広島18回戦に3番手で登板。アメリカ土産のスクリューボールを駆使して2回を無失点に抑えると、ドラゴンズは逆転。5年目にして初勝利が転がり込んできた。この年1カ月強で5勝。投手のやりくりが厳しい終盤での若きサウスポーの活躍はドラゴンズを優勝へと導いた。(08年1月8日掲載分再録)

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