日めくりプロ野球 1月

【1月17日】1985年(昭60) ベールを脱いだ郭泰源「5分の力」で135キロ

[ 2009年1月1日 06:00 ]

1年目にノーヒットノーランを演じた郭。人工芝球場で記録された最初の快記録だった
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 埼玉・所沢の西武ライオンズ第二球場、午後1時半。台湾出身の“オリエント・エクスプレス”郭泰源投手が初めて日本のブルペンでベールを脱いだ。集まった報道陣は50人超。「気にせずに自分のペースで投げればいい」。宮田征典投手コーチのアドバイスを通訳を通して聞いた郭は、コクリとうなづくと、入念にマウンドをならし始めた。
 捕手を座らせての投球は5カ月ぶり。ロス五輪以来のことだ。相手役の大井久士捕手がブルペン全体に響き渡るような大声を出した。「さあ、行こう!」。それが合図とばかり、郭が投球動作に入った。

 初球は右打者の内角低めいっぱいのストライク。テレビ局が持ち込んだスピードガンは132キロを計測した。MAXは158キロだが、久々の本格的な投球。フォームやボールの感触、腕の振りなどを確かめながら投げる郭は多くの報道陣にサービスするより、宮田コーチの指示通り自分のペースでの調整に専念した。
 10球、15球、20球…。大井のミットが小気味良い音をたてて捕球していく。38球目にはこの日最速の135キロが出た。黙って見ていた広岡達朗監督が宮田コーチに言った。「久しぶりにしてはよく仕上がっとる。左側の壁がきちんとできているね」。ご満悦の指揮官に宮田コーチは「いじるところがほとんどありません。無理させずにぼちぼちやりますよ」。
 グローブを持った左サイドがなかなか開かない、いわゆる“壁”が作れており、球を放すリリースポイントも遅い。打者にとっては球の出どころがわかりずらく、タイミングが取りづらい。おまけにフル回転すれば150キロ台の快速球がビュンビュンくる。捕手の後ろに立った往年の名投手の解説者たちが口々に言った。「1年目から10勝できる。20勝だって夢じゃない」。
 50球を投げた郭も手応えを感じていた。「きょうは5分の力で投げた。指先のかかり具合もいい。これからハイペースにならないよう、ゆっくり仕上げます」。“オリエント・エクスプレス”の試運転は上々のうちに終わった。
 解説者たちの予感は当たった。デビュー戦となった4月8日の近鉄2回戦(西武)は1失点完投勝利、4月25日のロッテ5回戦(西武)では6安打完封勝ちを収めると、85年6月4日の日本ハム9回戦(平和台)ではノーヒットノーランを達成。入団前に痛めた右ひじ痛でオールスターを辞退するなど足踏みをしたもののシーズン9勝(5敗)を挙げ、3完封はリーグ最多だった。98年の引退までに通算117勝68敗。来日した外国人投手としては最多の勝利数を残した。
 尊敬する王貞治監督が指揮を執っていた巨人入りを本人は熱望していたというが、西武シンパの知人からその存在を知った当時の坂井保之・西武球団代表が中学3年の時から目をつけ、5年間見守ってきた。その間、両親を早く亡くした郭の親代わりとなっていた兄の信頼を勝ち取ったことが、激しい獲得攻勢をかけてきた巨人との争奪戦に勝った最大の要因だった。
 09年は第2回WBCの台湾ナショナルチームの投手コーチとして日本代表の前に立ちはだかる郭。日本の野球を知り尽くした男に指導された台湾投手陣を攻略しなければ、米国行きの切符勝ち取れない。日本代表にとって要注意のチームだ。

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