日めくりプロ野球 1月

【1月6日】1968年(昭43) 東京はさらに遠く…打撃の職人・山内一弘、3球団目の1年生

[ 2009年1月1日 06:00 ]

70年、通算4000塁打を達成し根本監督(左)に祝福される山内。通算2271安打は08年現在歴代16位だが、現役当時は「初」がつく記録が多かった
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 巨人・川上哲治一塁手に次いで昭和生まれでは初の2000本安打達成者となった、16年目のベテラン“ヤマさん”こと山内和弘(後に一弘)外野手は阪神から無償で広島に移籍。空路広島入りした山内は球団事務所で入団会見を開いた。
 「いずれは東京へ戻るつもりが、さらに西の広島へ来た。3球団目の1年生だが、それも悪くない。僕を欲しいと言ってくれるチームがあるのなら、どこへでも行く」。バッティングを極めるために研究も努力も練習も惜しまず、果ては日常生活も徹底して「野球のために」という姿勢で数々のタイトルや記録を残してきた打撃の職人。働き場所にはこだわらなかった。

 東京に本拠地を置く大毎(現ロッテ)から関西の阪神に“世紀のトレード”で移籍してから4年。初年度こそ31本塁打、94打点でタイガースのリーグ優勝に貢献したが、その後の成績は年々下降線をたどり、2000本安打達成を潮に阪神は見切りをつけた。半ば解雇のような形となった山内に声をかけたのは、広島の監督に就任した根本陸夫だった。「広島は未熟なチーム。若手の手本になってほしい」と頭を下げて獲得した。
 川上の持つ多くのバットマン記録の更新を目標にしてきた山内にとっても、広島入りは錆付き始めた自分のバッティングを見直す良い機会となった。
 広島入り後は趣味の狩猟をかねて野山を駆けずり回り、下半身を強化。自主トレから徹底的な走り込みと特打でキレを重視した。「年寄り扱いするな。オレの体には20代の血が流れている」と、若手が驚くほどの練習量に加え、専属マッサージ師を雇って体のケアに務め、球場の行き帰りは車を使わず、自転車をこぎトレーニングにあてた。
 68年、広島は山内の気迫に引っ張られるように、白星を重ね貯金6で球団創設19年目にして初のAクラス3位に入った。山内自身、打率3割1分3厘で打撃成績3位に。実に6年ぶりの3割突破でセ・リーグ移籍後初のベストナインにも選ばれた。
 開幕戦となった古巣の阪神戦で、南海・野村克也捕手に次ぐ史上2人目の通算350号本塁打を記録したのを皮切りに、当時のプロ野球新記録となる978四球、二塁打409本、1980試合出場とメモリアルを連発。山内が見せた職人の意地が数字に表れたシーズンだった。
 根本監督の目論見は70年に山内が引退した後に大きな花を咲かせた。背番号27から山内の代名詞の8番を引き継いだ山本浩司(後に浩二)外野手は、山内が欠かさずつけていた「打撃日記」を許可をもらって読みふけり、バッティングに対する考え方、打席での気持ちの持ち方を学んだ。
 実力がありながら、遊びに夢中で1軍半の選手だった衣笠祥雄内野手は山内に「バッティングを教えてほしい」と頼んだが、「お前のような中途半端に野球をやっているやつは知らん」と厳しいひと言を言われてから目が覚め、後に夜を明かして山内とバッティング談義をするほど研究熱心になった。
 この2人が中心となり、広島が優勝したのは75年。山内の引退から5年の歳月が流れていた。

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