日めくりプロ野球 12月

【12月7日】2006年(平18) 楽天・鉄平、年俸220%UP「これからはグリーン車」

[ 2010年12月1日 06:00 ]

 自由契約同然で金銭トレードされた外野手は、新天地で過去5年間に打った安打数5本の25倍にあたる120安打を放ち、打率3割3厘をマーク。パ・リーグ打撃成績9位にランクされ、年俸が220%も上がった。

 「自費で新幹線に乗るときはいつも自由席だったけど、これからは座席が広いグリーン車に乗れそうです」。高給取りのプロ野球選手らしからぬコメントをした楽天・鉄平外野手は、年俸1000万円から3200万円に跳ね上がった喜びをこんな例え話で表現した。

 01年、大分・津久見高からドラフト5位で中日入り。俊足好守の外野手として期待されたが、04年に50試合に出場したのが最高。愛車とともに名古屋からカーフェリーで再出発の地、仙台にやって来た。

 子供の頃から、オリックス・イチローに憧れていた。愛読書の「イチロー物語」(佐藤健著、毎日新聞社)を読みふけり、中学1年の時に右打ちから左打ちに変えている。高校では遊撃手として活躍。右に左にヒットを打ち分け、走攻守三拍子そろった選手として「九州のイチロー」と呼ばれた。

 しかし、入団した中日内野陣の層の厚さは想像以上で、荒木雅博、井端弘和らの成長とともに居場所がなくなった。肩の良さを生かすために外野に転向したが、今度は打撃で悩み、フォームを崩した。

 楽天へ移籍して心機一転、土谷鉄平から登録名を「鉄平」に変えた。「何とか2世とかは良くない。自分の形を作れ」。知人を介して励まされた憧れの人イチローの言葉を何度も反すうしながらの久米島キャンプに入った。

 オープン戦からバッティング好調を維持したことで、野村克也監督の目に留まった。足もあり、守備にはもともと定評があったことから、野村監督は06年3月25日、札幌ドームでの対日本ハム1回戦で1番・中堅で起用。移籍時には考えられなかった、開幕初スタメンだった。

 4月22日、フルスタ宮城での西武4回戦で、西口文也投手からプロ入り初本塁打。対西武戦の連敗を2年越しの10で止める値千金の一発は、楽天初の1-0での勝利となる本塁打でもあった。6月2日、古巣の中日との交流戦(フルスタ宮城)で3本の二塁打を含む4安打2打点と大活躍。「(楽天に)出して良かったよ」と、中日・落合博満監督は静かに話したが、守備固めと代走要員だった土谷鉄平が、見事にバージョンアップしたことを古巣に見せつけた瞬間だった。
 交流戦で3割4分5厘のハイアベレージを残したが、パ・リーグの公式戦に戻ると野手としてはプロ野球新記録となる9打席連続三振を記録するなど、安定感という意味ではまだまだではあったが、それでも野村監督は1年を通して成長した背番号46を使い続けた。「我慢して使ったかいがあった。レベルスイングができている。空振りしても、次に生かせるようになった。本物に近づいているな」。

 大幅に飛躍した06年のシーズン終了後も、若手主体のフェニックスリーグに志願して参加。オフは仙台大陸上部に“入部”し、シーズン中に傷めた下半身強化を図った。「全試合出場」を目標に迎えた07年、前年同様120安打をマークしたが、打率は2割5分4厘に下降。相手のマークも確実に厳しくなった。チームは4位に浮上、鉄平自身もファン投票で球宴に初出場したが、決して満足できないシーズンだった。(07年12月7日掲載分再録 一部改変)

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