日めくりプロ野球 12月

【12月6日】1985年(昭60) “浪花の春団治”川藤幸三、粘って粘って現役続行!

[ 2010年12月1日 06:00 ]

 「ぼちぼち潮時とちゃうか。このへんでどうや」「チームは日本一になりましたが、個人としては満足してません。成績に関係なく来年を最後の年にしたい。もう1回勝負させてもらえまへんやろか」

 「そやけど、来季の戦力構想からはずれとるで。今年のアベレージ1割7分9厘や。アンタの背丈(1メートル74)とそう変わらん」「それは分かっとります。1軍の28人枠に入れなくても、全体の60人の枠に入れてもらえればワシはええんです。そこからは自分自身の勝負。たとえアカンでも、トコトン最後までやりたいんです」

 「そこまで思うとる根性はエラいが、情勢は厳しいぞ。今なら花道もできとる」「覚悟の上です。体張って、命かけて、倒れてもやります。お願いします」

 「仕方ないなあ。契約書用意してなかったわ。今から作る。ちょっと待ってて」「本当ですか。おおきに。ありがとうございます。ワシャあ、幸せもんや」

 タイガース一筋18年、ほとんど代打で築き上げた通算“200本”安打まであと2本に迫っている“浪花の春団治”川藤幸三外野手が岡崎義人球団社長相手に2時間粘りに粘った末、球団の引退勧告を撤回させた。85年といえば、阪神が優勝した年。吉田監督の次に胴上げされ、花道を飾ったはずの川藤だったが実は「断ったら場の雰囲気悪くなるやろ」と、引退の気持ちは微塵もなかった。

 「何か書いたあったみたいやけど、よう見とらん」と、年俸も確認せず判を押した。1200万円から統一契約書に記載されている限度額いっぱいの25%ダウンの900万円に大幅減俸。優勝のご祝儀更改で軒並み年俸がアップする阪神ナインだったが、「ゼニやない。野球ができるんならそれでええ」。そこまで言うと川藤の目からは一筋の熱いものが流れ落ちた。

 67年(昭42)のドラフト9位。65年の第1回ドラフトで東京(現ロッテ)9位指名され、8年間で4勝を挙げた左腕・兄の竜之輔投手に続くプロ入りだった。福井・若狭高では3年生の春夏とも甲子園に出場。ともに1回戦で敗退した。登録では背番号1を付けていたが、夏は4番・左翼で出場。68年のドラフトで巨人に1位指名された神奈川・武相高の島野修投手から1安打を放った。

 パンチ力のあるバッティングに加え、後年の川藤からは想像できないが俊足を買われて、野手に転向。1年目は内野手登録で、3試合ショートを守っている。初安打はルーキーイヤーの68年にマークした。

 しかし、調子にムラがあり、安定した成績が残せないことから、レギュラーにはなれず、10年目を過ぎたころから完全に代打専門に。出番のない時はベンチで“ヤジ将軍”となった。それでも、78年から81年までは打率3割台の成績を残した。勝負強さもさすがでサヨナラ打は6本記録。84年6月4日、甲子園での大洋12回戦では、同年最多勝、沢村賞を獲得した遠藤一彦投手から生涯唯一のサヨナラ2点本塁打を放った。

 実は川藤、83年オフにも引退勧告をされている。年俸1300万円の代打屋は、シーズン7安打しか打てなかった。阪神の4番・掛布雅之三塁手が年俸5480万円で1安打あたり単価約38万円に対し、「1安打約185万円ナリ」などと比較され、戦力外通告された。それでも現役にこだわり、限度額を超えた60%ダウンの480万円をのんで残留にこぎつけた。

 2度死んだ男は、最後の年に代打男の生きざまを周囲に見せた。86年、阪神は右の代打として日本ハムで4番を張っていた、柏原純一内野手を獲得。キャンプ中、吉田義男監督は「川藤?まだおったんか」と全くの計算に入れたなかったが、オープン戦で結果を出し、1軍に残った。

 オールスター前まで22打数9安打4本塁打で打率4割9厘。7月11日、甲子園の監督室に川藤は呼ばれた。「クビの宣告か?慣れてるからいいわ」と笑っていたが、吉田は監督推薦でオールスターゲームのメンバーに入れたことを伝えた。「男のロマンとともに実力。代打という難しい仕事を務め、結果を出している」というのが、オールセントラルを指揮する吉田の選出の弁だった。「もうビックリや。墓参りの予定どうしょうか。困ったことしおって」と川藤は口とは裏腹に、今にも泣き出しそうだった。

 オールスターでの川藤の成績は2打数1安打1四球。7月20日、大阪球場での第2戦の9回、近鉄の左腕・小野和義投手から左中間を破る一撃を放った。一塁で止まろうとする川藤を、一塁コーチスボックスの巨人・王貞治監督がけしかけ、二塁に走らせた。かつて勝負どころの代走として起用された背番号4もすっかり鈍足になり、スライディングを試みタッチをかわそうとしたが、返球が早くアウト。申し訳なさそうな近鉄・大石大二郎二塁手を前に両手を上げて「アカンわ」。そのポーズに2万8188人の観衆からはドッと笑いが起こった。

 今度こそ最後の花道。「どんなに成績が良くても引退する」の言葉に二言はなく、86年限りで現役引退した。打率2割6分5厘は過去5年で最高のもので、本塁打5本にいたっては19年のプロ生活で最多の数字だった。通算成績は211安打16本塁打、打率2割3分6厘。現役生活19年は67年プロ入りの野手としては最長記録となった。(07年12月6日掲載分再録)

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