日めくりプロ野球 12月

【12月31日】1977年(昭52) 西武、新規加盟への布石?堤義明氏、新球場構想披露

[ 2009年12月1日 06:00 ]

 大晦日の新構想披露が1年後の球団経営参入につながると、この時当の人物は計算して話していたのだろうか。
 堤義明・国土計画社長(当時)は、埼玉県所沢市のレジャー施設西武園内にある野球場を全面的に改修し、プロ野球公式戦を開催できる規模の新球場を建設することを明らかにした。大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースの本拠地、ドジャースタジアムを参考に、フェンスに広告を入れない、収容人員5万人を目標とした日本一の規模のスタジアムを建てる壮大な計画だった。

 横浜スタジアム建設にかかわった西武グループが、いよいよ本格的にプロ野球参入か?と推測するのに十分すぎる“材料”だったが、堤社長は直接球団を持つことを否定。新球場の目的をこう説明した。
 「新球場は各球団から興行権を勝って試合をするようになるだろう。プロ野球の専用球場でなく、アマチュアなども広く利用してもらいたい。球団経営?既存の球団を買収してまでやることは全く考えていない」。
 そう言った後で、少し間を置くとさらに言葉が続いた。「ただ、プロ野球側が、もし新しく球団を増やし、そのために西武に加盟を呼びかけてきた場合は考える。球団を持つこともあり得る」。
 西武のプロ野球参入の噂は以前からあった。その度に堤社長は「巨人が買収できるならやるけど、現実には無理。譲って巨人と試合ができるセ・リーグの球団ならば考えるが、プロ野球は経費がかかりすぎる。親会社からの持ち出しによる赤字経営はいずれ本業を圧迫する」と興味があまりないことを強調してきた。それでも西武グループは徐々にプロ野球と関係を持つようになっていた。
 堤社長がプロ野球と本格的かかわったのが76年。経営状態が芳しくなかった大洋の中部謙吉オーナーから頼まれ、球団の株を購入。大洋が川崎から横浜へ移転する際にも尽力し、新本拠地建設にも参加した。
 大洋の件でプロ野球の世界に足を踏み入れたことをきっかけに、堤社長が関心を持ち出したことは間違いない。ただ、この時点でクラウンライターライオンズを買収し、福岡からはるか1000キロ以上離れた所沢をフランチャイズに「西武ライオンズ」を立ち上げる気持ちはほとんどなかった。堤社長は巨人戦を中心に数試合を誘致し、利益を上げて将来の事業としてプロ球団を持つ可能性を探ろうとしている段階だった。
 それから10カ月後、堤社長は球団オーナーとなった。「パ・リーグ側から是非にと頼まれた」と社長は説明。実際は前年のドラフトで交渉権を得ていた、江川卓投手(法大→作新学院職員)の入団を当て込み、観客動員につながると踏んだからという説が専らだが、とにかくこれがチャンスとみた西武は話に乗った。買収額は西鉄から太平洋クラブ、そしてクラウンライターの6年の間にかさんだ借金をチャラにする10億円という球団買収の金額としては格安の値段だった。
 新球場は突貫工事で78年の開幕までになんとか間に合わせた。元々あった球場のホームの位置をセンターにして逆方向にしたほか、観客席は丘陵地ということもあって当初の計画より少なくなったが、バックスクリーン以外はフェンスに広告なしという、日本のプロの本拠地としては画期的な試みを取り入れた。
 ここを舞台にライオンズは再度黄金時代を迎え、常勝軍団の名をほしいままに数々の栄光を手にしていった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る