日めくりプロ野球 12月

【12月27日】2008年(平20) 渡辺久信監督 亡き恩人に涙のV報告 

[ 2009年12月1日 06:00 ]

亡き佐田前会長をしのび涙ぐむ渡辺監督
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 26年ぶりのBクラス転落から、わずか1年でチームを再建し日本一にまで駆け上がった西武・渡辺久信監督が突然、感極まった。
 「日本シリーズ第7戦後に佐田(前)後援会長が逝去されたことを聞かされました。中学時代、僕を見いだしてくれた方です。今思うと、きょうもこの席に…」とまであいさつすると、涙ぐみ言葉にならなかった。しばらく間をおいて「この場で会長に優勝報告したかった」と述べるのが精いっぱい。何度も目をしばたかせ、鼻水をすすった。

 地元群馬で行われた渡辺監督の母校、前橋工高野球部OB会主催による西武日本一祝賀会。主賓がその死を惜しんだのは、佐田武夫・野球部前後援会長。渡辺監督が栄冠を手にした11月9日、83歳の生涯を閉じた。
 涙を流す理由は十分すぎるくらいある。前工OBで建設会社を経営していた佐田前会長が渡辺監督を同校に進学するきっかけをつくった人物だった。中学の軟式野球部で活躍し、県内外の強豪校から引く手あまたの右腕のもとへ何度も足を運んで「前工で野球をやろう。甲子園に連れて行ってくれ」と熱心に誘い続けた。やんちゃな野球少年だった当時の渡辺監督も情熱をもって語る会長の言葉に"降参"。厳しい練習で知られる前工野球部へ入部した。
 佐田会長の目は確かだった。81年夏に甲子園に出場。背番号10でのベンチ入りは15人の選手の中でただ1人の1年生だった。初戦は夏10回出場を誇る京都商高。10個の三振を奪う力投をみせたが、4-5でサヨナラ負け。それでも力のあるストレートを中心に131球を投げ、この年準優勝の名門を最後まで苦しめた15歳の少年にプロ各球団は早くも2年後のドラフト1位を保証するほどだった。
 「逃げず、最後まで勝負する。佐田会長に教えられたこの勝ちに徹する前工魂を実践したからこそ日本一になれた」と渡辺監督。亡くなった日は日本シリーズの7戦目。泣いても笑っても最後となる一戦に、西武は投げられる投手は先発であろうと中継ぎで使った。
 西口文也投手に始まり、石井一久、涌井秀章、星野智樹、そして最後は守護神グラマンの豪華リレー。勝ちに徹する思い切った起用は、プロ野球選手となる原点の場で教えられた姿勢によって導き出された。
 「この壇上に上がれるのも会長のおかげ。僕の支えだし、父親だった。天国で見守ってくれると思う」。V2を誓って恩人の冥福を祈ったが、09年は投打がかみ合わず、またBクラスへ逆戻り。谷底に落ちたライオンが勝ちに徹した野球で再度崖の下からはい上がってこられるかどうか。2010年、渡辺監督は3年目。真価が問われる年になる。

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