日めくりプロ野球 12月

【12月5日】2006年(平18) “世界の王”からの電話無視!?多村仁、ソフトバンク移籍

[ 2009年12月1日 06:00 ]

07年のキャンプで王監督(左)が見守る中、会心の打撃をみせる多村
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 もしかしたら…という予感はあったが、いざ成立してみると頭の中が真っ白になってしまった。横浜の主砲・多村仁外野手とソフトバンクの寺原隼人投手の交換がこの日両球団から発表された。松中信彦外野手の前後を打てる右の大砲を探していたソフトバンクと先発ができる若手投手を求めていた横浜の思惑が一致したトレードだった。

 04年に40本塁打100打点、05年も31本塁打、しかもこの2年とも3割を超えるアベレージをマークした多村。06年こそ39試合で8本塁打と不本意な結果に終わったが、地元出身のベイスターズの看板選手は「今は何も考えられない」とショックを隠しきれず、ただぼう然とするばかりだった。
 放心状態の多村にソフトバンク・王貞治監督は直接電話を入れたのは、トレード発表直後のことだった。携帯に表示された電話番号に覚えがなかった多村はこれを“無視”したが、留守電を聞いて飛び跳ねるほど驚いた。すぐさま電話をかけて非礼を詫びると、王監督は熱っぽく多村をどれほど待ち望んでいたかを語った。
 「縁あって一緒にやることになった。とても嬉しいよ。体の状態を万全にして戦力になってほしい。福岡には君が全力で戦える環境が整っているから、迷わず来てほしい」。この言葉で多村のモヤモヤは吹き飛んだ。「意気に感じた」という多村は、生まれ育った神奈川から初めて飛び出し、福岡行きを決断した。
 病を患い、手術のため06年シーズン半ばで戦線離脱をした王監督の07年にかける思いは強かった。その補強プランの中で真っ先に挙げたのが、打線の強化だった。不動の4番松中を中心にクリンアップと6番打者の4人で1人40発ずつ、計160本塁打構想を掲げ、補強候補のターゲットとして絞ったのが多村だった。
 この年の3月に行われた第1回WBCで指揮を執った王監督はチームトップの3本塁打9打点を記録した、横浜のスラッガーを「リストが強い。もっとホームランを打てるようになる」とホレ込んだ。横浜がシーズン途中からけがの多い多村と引き換えに10勝できる力のある投手の獲得を計画しているとの話を王監督が耳にした。
 以来、「王監督からずっとラブコールがあった」(横浜フロント)という熱心さに、横浜はトレードを本格的に検討。01年にドラフト1位で指名した経緯もある寺原を要求した。
 多村獲得には日本ハムなど数球団から打診があったものの、交換要員で折り合わず、「尊敬する王監督の下なら多村も活躍できる」と判断した横浜側は、ホークスとのトレードに応じた。
 多村は移籍初年の07年開幕戦で2本塁打を放ち、期待に違わぬスタートをみせたが、やはり不安視されたけがや体調不良が時々顔をのぞかせ、1年目は13本塁打止まり。王監督ラストイヤーとなった08年は腰痛と足の骨折のため、出場はわずか39試合。チームは最下位に沈んだ。
 09年も2軍スタート。肝心なクライマックスシリーズでも最初の2試合に欠場。17本塁打57打点と中軸としては少々物足りない数字だった。
 寺原は移籍1年目に12勝と自己新記録を達成。2年目も苦しい台所事情の横浜にあって、リリーフに転向。慣れないポジションで22セーブをマークした。3年目の09年はわずか2勝に終わったが、尾花高夫新監督がかける期待は大きい。
 2人とも移籍4年目となる2010年。どちらが先に“優勝”の二文字に貢献できるか、勝負の年となることは間違いない。

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