日めくりプロ野球 12月

【12月3日】2000年(平12) 破格の提示にもやっぱり…内海哲也、オリックス入り拒否

[ 2009年12月1日 06:00 ]

4年連続2ケタ勝利をあと1勝で逃した09年の内海。左のエースとしての安定した投球が期待される
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 最後は自分の気持ちにうそはつけなかった。ドラフト会議でオリックスが1位指名した、福井・敦賀気比高の内海哲也投手が2度目の交渉に臨み、母親も同席の上で入団を断った。

 「社会人の方へ進みたいと伝えました。やっぱり好きな球団でやりたい。それだけです。自分が決めた道なので、3年後にまたドラフトにかかる選手になれるよう頑張りたい」。最速144キロ左腕はきっぱりと言い切った。
 好きな球団は巨人。祖父の内海五十雄内野手はわずか2年だが、戦前の巨人軍に在籍。祖父と野球をした思い出はないが、子どもの時からジャイアンツファン。プロでやるなら巨人。それ以外は18歳の左腕投手にとって考えられなかった。
 巨人は2つの自由枠を使い、中央大・阿部慎之助捕手と立教大・上野裕平投手を獲得。高校生の内海はどんなに早くても3位でしか指名できなかった。その状況を突いて、難攻不落が十分予想されながらも、オリックスは果敢に1位で強行指名した。
 指名直後に仰木彬監督が直接電話をしたことで、一瞬違うユニホームを着る自分を想像したりもした。何よりも“ドラ1”という日本でその年12人しかいない特別な存在にプライドもくすぐられた。しかし、直後に巨人に指名された選手の存在が、逆に内海のジャイアンツ熱望の気持ちをより強くしてしまった。
 巨人は8位で同じ敦賀気比で内海とバッテリーを組んでいた李景一捕手を8位で指名した。巨人・山室球団代表は「8人の指名は予定通りだが、残念なことが1つあった。今のドラフト制度では素質豊な若者が流出してしまう」と、内海の指名ができなかったことに歯ぎしりしたが、8位で女房役を指名した背景には、3年後まで待っているというメッセージが暗に込められていた。
 巨人側の“駆け引き”にオリックスは目に見える形で将来有望の左腕を誘った。オリックスが提示した条件は契約金1億円、プラス出来高5000万円、年俸1300万円という大学、社会人の自由枠選手と同等のものだった(金額は推定)。
 それでも内海の心は動かなかった。「希望球団に行かせてください」の一点張り。母親も「1位という光栄な評価をしていただいて、お礼を言うためにお会いしましたが、これが最後だと思います」。交渉に当たった矢野清球団本部長は疲労の色を浮かべ「意志は固かった。交渉にならなかった。巨人に行きたいばっかりで…。社会人入りを止める方法はない。(1位)という評価をもう少し真剣に考えてほしかった」と事実上、獲得断念を表明した。
 東京ガス入りした内海は日本選手権で優秀投手賞、インターコンチネンタル杯日本代表の実績を引っさげて、今度は巨人から自由枠での入団を求めてきた。 内海は3年かかって憧れのジャイアンツに入団。祖父と同じ背番号26を付けた。同級生だった李は1度も1軍のベンチに入ることなく、内海が入団した04年に戦力外通告を受け、翌年ブルペン捕手となったが、1年で退団した。内海は李が戦力外となったルーキーイヤーの04年に1軍登板を果たし、05年にプロ初勝利をマークした。昨日泣いた者がきょうは笑い、昨日笑ったものがきょうは泣く。入った状況はどうあれ、実力がすべてのプロ野球の厳しい現実である。

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