日めくりプロ野球 12月

【12月14日】1976年(昭51) 元大リーガー太鼓判「オレよりすごい」 広島ギャレット獲得

[ 2008年12月1日 06:00 ]

粗削りでもあったが、打ち出すと止まらない魅力を持ったギャレット
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 歓喜のV1から1年。なんとかAクラス3位に滑り込んだ広島は、大胆なチーム改革に着手した。日本ハムとの大型トレードなどとともに、初優勝に貢献したゲイル・ホプキンス一塁手、リッチ・シェーン外野手を解雇。元広島の外野手のフィーバー・平山(日本名、平山智)スカウトの推薦でヘンリー・ギャレット内野兼外野手とジム・ライトル外野手を獲得、この日発表した。

 両者とも30歳を過ぎ、メジャーとマイナーを何度も行ったり来たりする「エレベーター選手」だったが、ギャレットの広島入りを知った阪神のハル・ブリーデン一塁手は真顔で言った。「ヤツの飛距離はハンパじゃない。オレなんかよりバッティングは上だ。カープはいい選手を獲った。優勝争いに加わることができる」。カブス、エクスポズで活躍し、来日1年目で40本塁打を放った“赤鬼”が太鼓判を押した。
 確かにギャレットは3Aで71年に43本塁打を放ち、ホームランキングになったことはあったが、ブレーブス、カブス、アスレチックス、エンゼルスと転々とした大リーグでは実働8年51安打11本塁打。メジャーに定着できず、選手生活の晩年を迎えようとしていただけに、ブリーデンの話を聞いた阪神関係者は半信半疑だった。
 1年目の77年、ギャレットは打率2割7分9厘、35本塁打、91打点とまずまずの数字を残したが、エンジンがかかるのが遅く、広島は優勝争いどころか5位に沈んだ。しかし、マジメで研究熱心な男はこれで終わらなかった。2年目の78年、開幕から大きく変貌を遂げた姿をカープファンに披露した。
 開幕から4試合連続本塁打の日本新記録を樹立すると、4月だけで15本塁打を放ち、巨人・王貞治、ヤクルト・大杉勝男らと並ぶ月間タイ記録(当時)と大暴れ。「日本の投手の配球パターンを読めるようになった。だから外角のボールも踏み込んで打てるのさ」とギャレット。地元広島で行われたオールスター第1戦では3発のアーチを放ちMVPを獲得した。
 前半戦に吹き荒れた“ギャレット旋風”も日を追うごとに失速したが、78年はシーズン40本塁打を放った。翌79年は27本塁打に減ったが、主砲・山本浩二外野手がマークされる中でここ一番での貴重な一撃が目立った。ライトルとともに“ギャートルズ”といわれた助っ人コンビは、広島の4年ぶり優勝に貢献。日本一を置き土産に退団した。
 「外国人には珍しく義理と人情のわかる男」というのが広島の同僚選手はギャレット評。本来は外野手だが、捕手の経験もあり、広島では12試合マスクをかぶったこともあった。それでも不平不満を言わず、古葉竹識監督以下、首脳陣の言葉に首を横に振ったことは1度もなかった。「日本のシステムはやや堅苦しく、なじめない外国人も多いが、ここではそれに従うこと。そうすればチームメイトは親切だし、球団の人間も尊敬してくれる」。米国で三流のキャリアだった左打者が、日本での3年間で通算102本塁打を記録できたのは、この柔軟な考え方で臨んだからであった。
 平山スカウトから声がかかった時、ギャレットは来日をためらった。背中を押したのは、弟のロナルド・ギャレットだった。ニューヨーク・メッツなどで通算61本塁打を放った大リーガーは、74年にメッツの一員として来日。日本プロ野球の素晴らしさに魅せられた。自身も機会があれば行ってみたいと思っていた時に、兄にカープからオファーがあったため迷わず勧めた。その2年後の79年、ロナルドも中日入り。2年間プレーし、28本塁打の記録を残した。
 帰国後、ギャレットは日本で得た経験を生かし、マイナーチームの監督や打撃コーチを歴任。「日本での経験が帰国後のキャリアに役に立っている。懐かしい思い出ばかりだ」と大の親日家である。

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