日めくりプロ野球 12月

【12月6日】1999年(平11) 良妻・中嶋聡、“松坂査定”で年俸4%ダウンで済んだ

[ 2008年12月1日 06:00 ]

ダルビッシュ(左)と投球について話す中嶋コーチ兼任捕手。長年培った経験を生かし、投手陣の信頼も厚い
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 72試合で打率1割9分4厘、本塁打0。自衛隊のような“専守防衛”の成績に終わった西武・中嶋聡捕手は、リーグV3を逃した戦犯の1人として名前を挙げられる可能性すらあった。その13年目のベテランが、契約更改ではわずか4%ダウンの7200万円(推定)にとどまった。「交渉?1分で終わりました」とサバサバ。ダウン幅を最小限に食い止められたのは“松坂査定”によるものだった。

 ゴールデンルーキー、松坂大輔投手の1年目は25試合に登板し16勝5敗。うち23試合にマスクをかぶり、14個の白星に貢献したのが中嶋だった。球威はあるが、行き先は球に聞いてくれという荒れ球の新人王の投球を、女房役としてしっかり支えたことを球団は評価。「精神的にも大変だったと思う。大輔もけん制はうまいけど、中嶋にかなり助けられた」と浦田球団本部長は、盗塁阻止率4割1分4厘のリーグNO.1強肩の功績を大いに称えた。松坂はひと足先に更改を終え、年俸7000万円に。かろうじて200万円高い額を提示したことで球団は中嶋の面目を保った。
 86年、阪急のドラフト4位で秋田・鷹巣農林高からプロ入り。チームがオリックスとなって1年目の89年に121試合に出場し、コールデングラブ賞を獲得。ブレーブスからブルーウェーブの過渡期に21歳のレギュラー捕手が誕生した。
 その後メジャーに興味を持ち、97年オフにFA宣言し、大リーグと接触。自ら渡米し、入団テストを受けた。その中でエンゼルスが獲得に積極的だった。
 夢がかなうかに見えたが、エンゼルスの評価は3番手捕手。しかも年俸25万ドル(約3250万円)のマイナー契約だった。「お金の問題ではなく、(評価に)不安がある。結果的に3番手捕手としか見てくれなかった。テストを受けた段階で反応が鈍かったし、無理かなとは思っていたが…」と中嶋。
 結局、日本ハム、西武が手をあげた中で「投手力があって優勝を狙えるチームがいい。西武なら伊東(勤)さんの技術も盗める」とライオンズ入りを決意した。
 争奪戦に敗れた日本ハムだが、巡り巡って08年現在、中嶋はファイターズの捕手兼コーチとして22年目現役を終え、23年目に臨もうとしている。西武から02年に横浜へ移籍。わずか19試合に出場したのみで1年で金銭トレードされた。行き先は日本ハム。FA戦線で敗れて以来、ファイターズにとっては6年越しの“恋人”にようやく出会うことができた。
 この移籍は中嶋の選手寿命を伸ばすことになった。試合終盤、しかも勝ちゲームに出てくる“抑え捕手”としてチームに貢献。06年の日本一、07年のリーグ優勝は中嶋の存在なくしては語れないものであった。
 コーチ兼任となり二足のわらじを履くことは体力的にも物理的にも厳しい状態だが、若手を指導して体を動かしているうちに、自らも体力を維持し、選手として活躍できるコンディションを保ち続けることにつながった。
 来季28年目の横浜・工藤公康投手は別格として、打者では23年目の中嶋が現役最長キャリア。球界から姿を消して20年になる阪急に在籍経験があるのは、ロッテ・高木晃次投手と中嶋だけになった。奇しくも2人は同じ87年入団の同級生である。

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