日めくりプロ野球 12月

【12月5日】1990年(平2) “小池騒動”であいさつは後回しに 高津臣吾、即決入団

[ 2008年12月1日 06:00 ]

「まだまだ野球を続けたい」という高津。日米韓でのセーブ数は321を数える
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 ヤクルトのドラフト3位、亜細亜大学の高津臣吾投手は2週間近くも“放置”されていた。ドラフト会議から11日目のこの日、ヤクルト側はようやくあいさつに訪れた。指名された12球団全70選手中一番最後の訪問だった。
 90年のドラフトの主役は8球団から1位指名された高津の同僚、亜大の小池秀郎投手。くじ引きで交渉権を獲得したのはロッテ。小池の選択肢の中には全く入っていなかった球団だった。粘り強く入団を要請するロッテに対し、“絶縁状”まで出して断固入団拒否の姿勢をとった小池。粘るロッテと意志の固い小池。12月に入っても事態は決着をみていなかった。

 困ったのがヤクルトだ。高津を指名しておきながら、亜大・矢野監督をはじめ“交渉窓口”は小池問題で手一杯。やむなく高津との交渉をしばらく見合わせ、矢野監督らがひと段落ついたころにあいさつに出向くことになった。
 「小池君は残念でした」とヤクルト・片岡宏雄スカウト部長は、くじで外してしまったことを矢野監督にわびた後、あいさつもそこそこにいきなり本題へ。契約金5500万円、年俸720万円(推定)の条件提示を行った。
 あいさつだけと思っていた高津、矢野監督もこれにはビックリ。それでも小池のように拒否することはなく、わずか30分で“ヤクルト・高津”が内定してしまった。
 高津は出身の広島が第1志望だったが基本的に12球団OK。間口が広かった高津の方が、友人の希望球団に入るという運命となった。そんな高津も本音ではあまり行きたくない球団があった。「僕は“アンチなんとか”というやつで…」とヤクルトと同じ、東京に本拠地を置く超人気球団だけは避けたいと思っていたという。
 広島工高時代は2番手投手。甲子園出場も登板機会はなく、内野手として試合に出た。亜大進学後、3年になって頭角を現すもエースは小池。いつでも脇役の高津は、将来的には「社会人で野球を楽しみたい」くらいにしか考えていなかった。
 しかし、4年になってプロ側がにわかに注目し始めた。サイドスローからの3種類のシンカーは魅力的で、
ドラフト前には8球団が「即戦力」としてリストアップするほどまでになっていた。
 プロ入り後、そのシンカーに磨きをかけ、ほとんど真っ直ぐとの出し入れだけで日本記録の通算286セーブを記録。ストッパーとしてのイメージが強いが、入団2年目までは先発投手として完投勝ちも収めている。
 大リーグから日本に戻り、07年に自由契約となり、再度メジャー挑戦。08年は6月から韓国球界へ。新興のプロ野球チーム「ヒーローズ」で18試合1勝8セーブ、防御率0・86の好成績を残した。
 日米韓での合計セーブ数321に達した高津。「辞めるのはいつでもできるが、まだ辞めたくない。野球が好きだから」。とてもシンプルだが、とても大切な思いを抱き、現在40歳の右腕は45歳くらいまでマウンドに立ちたいと思っている。
 90年のドラフト指名70選手中、08年オフ現在現役なのは阪神・下柳剛投手と矢野輝弘捕手、高津の3人だけ。一番最後にドラフト指名のあいさつを受けた男は、一番最後にグラウンドを去るべく09年も現役を続行するつもりだ。

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