日めくりプロ野球 12月

【12月2日】1994年(平6) 流転の落合英二、1年で背番号4回変わる

[ 2008年12月1日 06:00 ]

現役15年間で37勝45敗24セーブの記録を残した落合英二。1球勝利投手、1球敗戦投手など珍記録を両方経験した投手でもあった
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 ナゴヤ球場の球団事務所で中日・落合英二投手は13%アップの1700万円で契約更改を終えたが、表情は複雑だった。年俸のことではなく、伊藤球団代表から背番号の変更を言い渡されたからだった。
 「またか…。何でオレだけ…。もう何番でもいいよ」と半ば投げやりな気持ちの落合。嘆くのももっともだ。落合にとってこの1年で4度目の背番号変更だった。

 背番号「19」では始まった落合の“流転”は1人の外国人選手の入団がすべてだった。規定打席不足ながらヤンキースで打率3割3分2厘の成績を残した、ディオン・ジェームズ外野手が、巨人に移籍した落合博満内野手の“代役”助っ人として入団。球団は19番を所望するジェームズの願いを受け入れ、ドラフト1位入団で期待されながらも、この2年で10試合登板1勝1敗の成績しか残せなかった落合の番号を変更。ジェームズに19番、落合に12番を与えた。
 ところがこの12番、かつての“住人”からクレームがついた。「ケガに見舞われ、あまりいい思いをしなかった背番号。来季は大切な3年目。右ひじに爆弾を抱えている落合にはつけさせたくない」と言ったのは、高橋三千丈投手コーチ。78年ドラフト1位で明治大学から期待の本格派として入団も右腕の血行障害などに泣き、6年間で6勝に終わった自身の二の舞はさせたくないとして変更を求めた。
 主だった背番号はすべて埋まっていたため、今度は「70」というまるでコーチのような番号しか空いていなかった。戦力外直前になると、若い番号から大きな番号になり、そのまま…というジンクスがプロ野球界にはあったが、ケガで苦しんできた落合にとってけがにたたられた過去のある番号は付けたくなかったため、受け入れることにした。
 ただ、これも短命に終わった。70番に今度は高木守道監督が「投手らしくない」と難色を示し、71番にするよう“再々度”変更を要求。流れ流れてようやく落ち着いた。
 94年、背番号71を背負って27試合に登板し2勝1セーブを挙げ、ドラ1の片鱗をみせた落合。ようやくこの背番号で勝負、と思った矢先に今度は「25」への変更を言い渡されたのだった。「打者の落合が抜けたのだからいっそのこと6番にするか?」「小松辰雄が引退したし、中日のエースナンバー20を付けてもらっては?」さまざまな意見が球団内部にあったようだが、ここまできたらどうでもいい、というのが落合の本音だった。
 流転はさらに続く。翌95年オフ、今度はドラフト2位で即戦力右腕の門倉健投手が入団。落合は25番を譲り、26番を付けることになった。結局これがラッキーナンバーとなり、中継ぎ投手として活路を見つけた落合はセットアッパーとしてチームになくてはならない投手となった。
 それにしても1球団だけの現役生活で背番号を6つ付けた選手はまずいない。現在は評論家として活動しているが、いつか古巣にコーチとして復帰する時がきたら7つ目の背番号が用意されそうである。

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