日めくりプロ野球 11月

【11月24日】1999年(平11) 進藤達哉、カレンダーから消えた…FA江藤智“話が違う”

[ 2008年11月21日 06:00 ]

華麗な守備で観客を魅了した進藤。オリックス移籍後は希望だった二塁でも出場した
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 巷では来年のカレンダーが販売される時期。プロ野球の各球団も自前のものを製作し、チームの顔となる選手を中心に1軍クラスの選手が12カ月それぞれに振り分けられ、ファンの目を楽しませる。そのカレンダーから3年連続ゴールデングラブ賞の名手が姿を消した。
 前年98年の優勝から99年は3位に後退した横浜の来季カレンダーで姿を消したのは、進藤達哉三塁手。華麗なフィルディング、8番打者ながらパンチ力のある打撃で38年ぶりの日本一に貢献。リーグ制覇を決めた98年10月8日の阪神戦では決勝の逆転タイムリーを放つ勝負強さをもった、横浜の顔が写っていないカレンダーなんて、どうして?「カレンダー製造開始のリミットが11月15日だった。その頃は進藤選手の移籍が濃厚だったもので…」と担当者はなんともばつが悪そうだった。

 担当者が進藤をカレンダーのメンバーから外しても仕方がなかった。というのも、シーズン中から「二塁ができる球団へ移籍したい」と公言していた進藤は、オフにFA権を行使し、オリックスを筆頭にロッテ、西武が獲得を検討した。カレンダー印刷が始まる数日前の11月11日、横浜との交渉はわずか20分で終了したが、オリックスの編成から連絡が入った。移籍は時間の問題とみられた。
 話が急転したのは17日。進藤はオリックス側と電話で1時間以上交渉。「二塁で起用してもうらというのが第1条件」としていた進藤に対し、オリックス側は「ゴールデングラブを獲得した三塁を考えている」。途中、オリックス・仰木彬監督に伺いを立てながらの交渉は、結局「接点を見いだせなかった。スタートから違っていた」(進藤)ということになり“破談”に。既にロッテ、西武は別の方向へ進んでおり、「三塁をやるなら横浜でいい。嫌いになって出ようとしたわけではないから」と、一気に残留へと方向転換することになった。
 カレンダーは既に印刷発注済み。今から出来上がったものを破棄し、進藤を入れるとなると時間も金銭もかかる。やむなく、進藤抜きの2000年度ベイスターズカレンダーは24日から店頭名並んだ。
 もう一人、話が違うと言った男がいた。広島からFA宣言をした江藤智内野手だった。江藤は「広島にいれば楽しいが、ぬるま湯に浸かってばかりではいられない。新しい環境で自分を試したい」と、移籍を決断。進藤のFAで三塁に穴が開く横浜が最有力とみられていた。
 しかし、一転して進藤の残留が決まると、風向きが変わった。進藤は「いいチームだし、是非一緒にやりたい。僕が連絡をとってもいい」と、江藤にラブコールを送ったが、当の江藤は戸惑った。24日は広島の選手会のゴルフコンペで進藤発言に触れ「それは本心じゃないでしょ。額面どおり受け取れない」と複雑な表情を浮かべた。
 江藤争奪戦には横浜のほかに巨人、中日、阪神が参戦。東京出身で在京でという考えがあったこと、それに長嶋茂雄監督直々の出馬で付けていた背番号33を譲るとまで言われ誘われたことに感動し、12月に入って巨人入りが決まった。
 2000年、横浜は3位に終わり、巨人は4年ぶりに優勝。日本シリーズでも王貞治監督率いるダイエーを倒し、6年ぶりの日本一を勝ち取った。32本塁打91打点をマークした江藤は優勝に貢献した1人だった。
 一方、進藤は右足首を故障しわずか59試合に出場したのみで2本塁打15打点と精彩を欠いた。横浜は権藤博監督から森祇晶新監督に代わると、最初の仕事として進藤をトレード。戸叶尚投手、新井潔内野手を入れた3人の行く先は、1年前に破談したオリックスだった。森監督が全打順で本塁打を放つなど勝負師として買っていた小川博文内野手を筆頭に、杉本友、前田和之両投手を獲得するための交換だった。なんと皮肉な運命であろうか。現役引退後、進藤、小川はそれぞれ古巣でコーチとなり復帰。進藤は08年からスカウトを務めている。

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