日めくりプロ野球 11月

【11月19日】1984年(昭59) 竹田光訓は巨人?、広沢克己は西武?…希望通りにならなかった

[ 2008年11月17日 06:00 ]

ドラフトで1位指名を受けた直後の明大・広沢(右)と竹田(左)。2人とも第1志望ではなかったが笑顔でプロ入りへの抱負を述べた
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 一つの節目となる20回目のドラフトが行われた84年は、明治大学のエース・竹田光訓投手と4番・広沢克己一塁手の2人に全球団の注目が集まった。早くから獲得競争に参戦せず、独自の1位候補を模索したところもあったが、明大コンビの人気は秋になっても衰えなかった。
 ドラフト前日の11月19日、各球団は最終的な編成会議を開き、指名選手を絞り込んだ。球団創立50周年は3位に終わった巨人は王貞治監督が「即戦力投手」という観点から竹田指名を要求、対する正力亨オーナーは母校慶応大の上田和明遊撃手にほれ込んでいた。
 「藤田君(元司投手)以来のスター選手」と正力オーナーは上田を褒めちぎったが、王監督の評価は「守備はいいが、打撃が非力」。一方竹田については「球速は物足りないがあの勝負根性はプロ向き」。明大の先輩、星野仙一投手をふうふつさせるマウンドでの仕草に、王監督はおとなしい巨人投手陣のカンフル剤となることを期待していた。
 竹田の第1志望は巨人。巨人じゃなければ「野球をやめるつもり」とまで言って波紋を投げかけたこともあった。指名前日、竹田は「巨人が指名してくれなきゃ、僕は報復する。星野さんのように巨人戦に燃える男となって巨人をやっつけます」と半ば脅迫する言葉で熱望を訴えた。結局、巨人の1位は竹田に決定。競合必至のため、妥協案として“ハズレ1位”を上田に決めた。
 そんな決定を巨人がしているとは知らない上田は、ドラフトを控えて会見。これまで一貫して希望球団を口にしなかったが、初めて「広島が熱心に誘って下さっています」と明言。言葉の端々に“コイ人”という意識がうかがえた。
 広沢はというと「一番行きたいのは西武」と公言しながらも「いちばんイヤなのは、指名されなくて田舎(栃木県小山市)に帰るようになること。だから指名してくれればどこへでも行きます。うんと食べて、うんと寝て、すがすがしい気分で朝を迎えたい」と、細かいことにはこだわらず、指名の日を待った。
 深夜まで続いた各チームの編成会議を経て始まった20日のドラフト会議。最大6球団の指名の可能性があった竹田にはお約束通り巨人と大洋、そして中日が名乗りを上げた。当たりクジを引いたのは大洋だった。竹田にとって大洋は第2志望。「巨人に1位指名してもらったことでいい夢を見た。今度は大洋のために打倒巨人で向かっていく」と笑顔。東京・日大一高時代は、この年引退した大洋のエース・平松政次投手の投球フォームを手本にしていたことから「背番号27がほしい」と早くも強心臓ぶりをみせ、そして27番を獲得した。
 広沢には意中の西武、大砲がほしい日本ハム、ポスト・大杉(勝男内野手)としてヤクルトが指名。“黄金の左腕”といわれたヤクルト・相馬和夫球団代表が見事に当たりくじを引いた。相馬代表はその名の通り、左手でくじを引き、83年の高野光投手(東海大)、82年の荒木大輔投手(早稲田実)についでドラフト1位3連勝となった。「へその緒みたいのでヤクルトと結ばれていたのでしょう。西武さん、日本ハムさんには感謝しています。レールが敷かれた以上、発車するしかないですね」と広沢。ポスト大杉と位置づけられたように背番号8となった。
 そして、上田。大本命とみられていた広島は1位で和歌山・箕島高の嶋田章弘投手を指名。阪神と競合した。上田の名前が呼ばれたのは、竹田をはずした巨人が事前の打ち合わせどおり指名した時だった。「指名されないのかなとも思ったが、行きたかった球団。最高です」と上田。「上田君が残っていたので、竹田君をはずしたとはいえ運が良かった」と話した王監督だが、どうしても欲しかった竹田を逃し正直さえない表情だった。
 その後、東京六大学のビッグスリーはそれぞれの野球人生を歩んだ。期待通りのパワーを見せつけたのは広沢だった。03年の引退まで19年間、ヤクルト、巨人、阪神で通算306本塁打。所属した3球団ですべて優勝を経験した。
 打倒巨人を誓った竹田は肩を痛め、十分活躍できぬまま、2年間の韓国プロ野球生活を経て91年に引退。通算40試合1勝2敗。巨人戦では1つも勝てなかった。08年現在、横浜球団職員。
 王監督が指摘したとおり、上田は打撃がネックとなった。93年引退まで203試合で61安打5本塁打、打率2割2厘。スカウト、コーチを経て巨人球団職員とジャイアンツ一筋である。
 84年組の中で選手寿命が一番長かったのが、中日のハズレ1位だった中村武志捕手(京都・花園高)。横浜、楽天と移り、05年まで21年間現役を務めた。09年は古巣ドラゴンズに7年ぶりにバッテリーコーチとして復帰する。

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