日めくりプロ野球 10月

【10月26日】2002年(平14) 清原和博、松坂大輔から特大弾「血管切れそうなくらい興奮」

[ 2010年10月1日 06:00 ]

 【巨人4―1西武】バットを振りぬいた後、しばらく自分の打球にみとれていた。西武・和田一浩左翼手は一歩も動けず、ただ頭上をはるか高く飛んでいく白球を見送るしかなかった。
 東京ドームの左翼壁面の広告に直撃する、推定飛距離150メートルの特大本塁打を放ったのは、巨人・清原和博一塁手。日本シリーズ第1戦の3回、松坂大輔投手から打った2点本塁打に、4万5000人超の観衆は驚きの声を上げるばかり。なにより一番熱くなっていたのは、ゆっくりとダイヤモンドを一周した清原本人だった。

 「血管が切れそうなくらい興奮しましたわ。きょう1日何があったか忘れるくらい。松坂から打てたのが嬉しい」。
 元祖“怪物”清原が“平成の怪物”と真剣勝負するのは初めてだった。この年の3月、オープン戦で対戦した際にも本塁打を放っているが、それとは比べものにならない。松坂の145キロのストレートを“しばき上げた”清原は言う。「真っ直ぐできた。力対力や。一番自信のあるボールを投げてきた」。内角を攻めるつもりが真ん中に入った失投だったが、「今日本で最高の投手」と認める松坂とガチンコ勝負をし、それを打ち返したことに清原は素直に感動していた。
 左太もも痛でまともに走れず、左手首痛でまともにバットが振れない状態だった。それでも清原は試合に出たかった。西武から巨人へFA移籍して6年。いつか古巣と日本シリーズで対戦するのが夢だった。「壊れてもええ。このシリーズで引退になってもええ」。そう覚悟を決めて、原辰徳監督に出場を直訴した。「誰も止めようない雰囲気だった」と原監督。清原の執念は翌日「5番・一塁」スタメン出場となって実った。
 98年、松坂が希望していた横浜でなく、西武が入団交渉権を獲得。プロ入りに難色を示していた松坂に、既に巨人に在籍していた清原は知人を介してメッセージを送った。「西武はいいところだ。行った方がいい」。憧れのプロ野球選手に清原和博の名前を挙げていた18歳の高校生の気持ちが大きく傾いた。
 シリーズの2カ月前、「調子はどうだ?お前も頑張れよ。オレも楽しみにしとるわ」。右ひじ痛、右内転筋痛で後半戦2軍調整を余儀なくされた松坂は、同じくけがでファームにいた清原にそう声をかけられた。だからこそ、松坂は懸命に調整して巨人との、清原との対戦に備えた。晴れの舞台での激突まで遠かった道のり。清原が興奮したのも無理はなかった。
 清原の日本シリーズの本塁打は14本目。うち第1戦で4本放っている。ON、かつてチームメイトだったデストラーデと並ぶ最多タイだが、4戦全勝に導いたのは清原だけ。清原は第3戦にも本塁打を放ち、計15本となったが、アーチをかければチームは12勝2敗、勝率8割5分7厘とほとんど負けなかった。
 ドームの広告看板にホームランボールが当たれば、賞金100万円だが、それは公式戦の話。日本シリーズ中はその契約がなく、清原の懐に大金は入らなかったが、金には代えられない思い出深い本塁打となった。
 
 

続きを表示

バックナンバー

もっと見る