日めくりプロ野球 10月

【10月14日】1966年(昭41) 西本幸雄監督信任投票「オレに不満があるヤツは×を付けろ」

[ 2010年10月1日 06:00 ]

 借金16で5位に終わった阪急(現オリックス)の秋季練習初日。練習前、47人の選手が西宮球場の食堂に集められた。1軍マネジャーが一人ずつに紙片を配ると、西本幸雄監督は口を開いた。「来年もオレが監督をやれ、との小林オーナーの命だが、この私に不満がある者は率直に訴えてくれ」。

 西本監督の方針を認める選手は「○」を、認めない者は「×」を無記名で書くことで、これからのチームをどうやって引っ張っていくかを考えるつもりだった。互いに顔を見合わせる選手には明らかに戸惑いの色が隠せない。気持ちは「×」だが、後で“犯人捜し”をされ、トレード要員にされるかもしれない…など、さまざまな思惑が頭の中を駆け巡った。
 西本監督はその結果に色を失った。「×」と白票が計11票もあった。せいぜい4、5票と“票読み”していたが、その倍の数に元来気の短い指揮官は感情も高ぶり思わずとんでもない言葉を発してしまった。「不信任がこうもあってはやっていけない。オーナーにもファンにも申し訳ない。私はチームを去る」。
 来年に向けてさあこれから、という初日にいきなり監督の辞意表明。球団フロントは慌てた。岡野球団社長は早速翻意するよう説得に当たった。信任投票が行われた翌日には8時間もの話し合いの席をもった。西本監督も軽率な行動だったとし、「僕もバカなことをした」と反省した。
 しかし、決意は固かった。「これからチームを強くしていくにはかなり厳しい練習と精神力が必要となってくる。その気構えがあるかどうかを(信任投票で)問いたかった。しかし、予想以上に不信任が多かったことで、膨らんだ風船が一気にしぼんだような気持ち。辞めることに変わりはない」。
 西本辞任の流れを変えられず、さじを投げかけた岡野社長だったが、小林オーナーのツルの一声で問題は解決した。「どれだけかかってもいいから西本を説得しろ。他の監督案は一切考えていない。西本が思う通りのチームを作ればいい」。厳命を受けた岡野社長は再度話し合いの場をもち、西本も折れた。「これ以上私が我を張ったら、オーナーにご迷惑がかかる。もう一度気持ちを入れ替える」。
 就任した1963年(昭38)以来、6位、2位、4位、5位の成績だった西本阪急は5年目の67年、全球団に勝ち越し球団創設32年目にして初優勝を飾った。
 キャンプから西本監督自らノックバットを握り、自分か選手がぶっ倒れるまで続け、打撃練習では自らマシーンを操作、球拾いまでやりながら、厳しい言葉をぶつけ続け若手を鍛え上げた。若手の猛練習に引きずられるように、当初冷ややかな視線を送っていた中堅、ベテランまで特訓に参加。「日本一練習がユルい球団」「夜の街の勇者」と言われた阪急が、前代未聞の信任投票事件を境に大きく変貌を遂げた。
 67年10月1日、西京極球場で優勝を決めた西本監督は選手に胴上げされた後、真っ先にバックネットへ走った。観客席の最前列にいた小林オーナと金網越しに指と指とを絡ませてしばらく無言のまま涙にむせんだ。「西本を信じ全てを任せたのが良かったのでしょう。何度チームを手放そうかと思ったかしれませんが、我慢していてよかった」と小林オーナーは感慨深げに話した。
 準フランチャイズの西京極から本拠地西宮球場に場所を移しての祝賀会。勝者だけに許されるビールかけの儀式が行われたのは、1年前重苦しい雰囲気が漂っていた信任投票の時と同じあの食堂だった。
 

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