日めくりプロ野球 10月

【10月31日】1990年(平2) 失踪2カ月…何処へ行った河野博文

[ 2009年10月1日 06:00 ]

先発、中継ぎ、抑えと貴重な左腕として活躍した河野。通算54勝72敗15セーブ。巨人移籍1年目の96年に最優秀中継ぎ投手に選ばれ、顔が原人に似ていることら長嶋監督に「ゲンちゃん」と呼ばれた
Photo By スポニチ

 MVP選手らが表彰される華やかな「日本プロ野球コンベンション」の会場となった東京・新高輪プリンスホテル。日本ハム元監督の大沢啓二球団常務の口から思いもよらない“失踪事件”が発覚した。

 日本ハムの河野博文投手が8月末から行方をくらまし、所在不明であることが明らかになった。「どこかで元気にしているのならいいが、とにかく心配だ。何かの事件に巻き込まれていなければいいが…」と“親分”も困惑。思い当たるところをそれぞれの関係者であたり、興信所を使って調べてもみたが全く手がかりなし。事を大きくしたくなかった球団は外部に漏らさず捜していたが、さすがに限界だった。悲痛な覚悟を決めて「警察に捜索願を出す」とまで大沢常務は言った。
 そもそもプロ野球選手がシーズン中に行方不明になること事態不思議な話であった。事の発端は5月24日の西武7回戦(東京ドーム)だった。試合前の練習中に河野は投球の軸足となる左足アキレス腱を断裂。病院で即手術となったが、全治6カ月と診断された。1シーズン投げる見通しが立たなくなったことで球団は、リハビリに専念させるため一度任意引退扱いにし、完治した後に再度登録する考えだった。
 84年のドラフト1位左腕。88年には防御率2・38で同1位のタイトルを取った男も89年は勝ち星なしの6敗。「球団もオレに見切りをつけたのか…」と思い込んでしまうと、河野の頭の中に“引退”の二文字がクローズアップされ、気になってリハビリも身が入らなくなった。迫力ある風体に似合わず、どちらかといえば物事を気にするタイプ。「もう2度と投げられない」とまで思いつめると、リハビリのための通院をサボった上に球団に連絡も取らず、あてもなく家を飛び出してしまった。
 携帯電話も普及していない時代。所在はまったくつかめなかった。「都内の盛り場で見かけた」「いや九州だ」「1度電話があった」などさまざまな情報が寄せられたが、どれも決定打に欠けた。銀行口座から金をおろしていて、都内にいる可能性が高かったが、それ以外はほとんど何も分からなかった。同僚の津野浩志投手が自家用車を運転中、河野らしき人物を見かけ、急いで車を止めて追いかけたが、行方がわからなくなった、ということもあった。
 周囲の心配をよそに、河野が自宅に戻ってきたのは、“事件”公表から10数時間後。心配で郷里の高知から上京していた母親の前に姿を見せた。11月1日、東京・六本木の球団事務所に母親に連れられた28歳の大男は、背中を丸めながら失踪の経緯を口にした。
 「野球ができなくなるんじゃないかという不安で、頭がいっぱいになり混乱した。リハビリもつらく、逃げ出したくなった」。失踪中は「都内にある同郷の友人宅にいた」と話した。ちなみに帰宅する前に“大騒動”になっているとは「全く知らなかった」。ふらっと帰ってきて、母親に大変な騒ぎになっていることを聞いて驚いてしまったという。
 それにしても28歳の大人がとる行動ではなかったことは確か。球団は河野の追い詰められた精神状態を考慮しつつも、年俸400万円減のペナルティを課した。
 野球ができなくなるどころか、騒動後は巨人、ロッテと渡り歩き、00年の引退まで16年間プレーした河野。“魔が差した”としか言いようのないお騒がせ事件だった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る