日めくりプロ野球 10月

【10月25日】1979年(昭54) “最高齢”36歳、球団初の首位打者ミヤーン

[ 2009年10月1日 06:00 ]

独特のフォームで構え、人気を博したミヤーン。鎖骨骨折の影響はスローイングにしばしば出て、メジャーゴールデングラブ2度の守備力を十分生かせなかった
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 セ・リーグの全日程が終了。タイトルホルダーも決定した。首位打者を獲得したのは大洋(現横浜)のフェリックス・ミヤーン内野手。大リーグ、ニューヨーク・メッツから来日して2年目。打率3割4分6厘で2位の阪神・掛布雅之内野手に1分9厘差をつけての受賞となった。
 セ・リーグの外国人選手のリーディングヒッターは1954年(昭29)に日系人の巨人・与那嶺要外野手以来25年ぶり。カタカナ表記の選手は初めてだった。しかも大洋にとってもミヤーンがチーム初の首位打者。メジャーでのキャリアは12年、通算1617安打を記録した大物は、70年のアトランタ・ブレーブス時代の3割1分を上回る最高打率となった。

 「自分自身を誇りに思うよ。36歳にしてベストアベレージだからね」。口ひげをたくわえた背番号16は微笑した。実はこの年齢で首位打者を獲得した前例はなし。08年にパ首位打者の楽天、リック・ショート内野手は35歳10カ月でのタイトルで、正確に言えば36歳でのリーディングヒッターはミヤーン以来、30年たった09年現在でも“最高齢”記録としてプロ野球史に刻まれている。
 プエルトリコ出身。その名前と敏しょう性のある動きから「猫のようだ」と付けられた愛称が“キャット”。こけしのような独特のグリップエンドのバットを3分の1くらいの位置で極端に短く握り、大振りせずミートを心かげるバッティングでコツコツとヒットを重ねた。
 ただ、元々大洋は守備を買って獲得した選手だった。ちょうど本拠地が川崎から横浜に移転した元年の78年。腰痛が悪化し、重大な失策をするようになった強打者ジョン・シピン二塁手に代わって、別当薫監督の「弱体投手陣を助け、ショートの山下大輔が生きる二塁手を探してくれ」という要望で牛込通訳兼渉外担当が、アメリカでウエーバー公示されていた“ビッグネーム”に目を付け、日本円にして年俸2500万円、3年契約で入団にこぎつけた。開幕まであと1週間に迫っていた時期だった。
 正確なスローイング、華麗なバックトス、広い守備範囲…。すでに“名手”と呼ばれていた山下でさえ、「レベルが違う。とてもじゃないけどついていけるかどうか」と不安を口にするほど。こと守備に関しては、よくこれだけの選手に大リーグは興味を示さなかったのかと首を傾げたくなったが、実は多少“ワケあり”の選手ではあった。
 前年夏に鎖骨を骨折し、治ったとはいえ、そのフィルディングにかつての華麗さがなくなったと評する関係者が多かった。性格はまじめで酒もタバコもやらない男だったが、気性の激しいところもあり、しばしば首脳陣と衝突。決してトラブルメーカーではないが、職人肌の頑固なところがあった。
 さすが職人肌だけあっていい加減なことはしなかった。開幕戦に合わせるかのように、米国のウインターリーグで日本でいうオープン戦をこなし、体を作ってきたのには、メジャーリーガーの誇りを誰もが感じた。
 「3年で日本の球界から引退する」と決めて来日し、3年目の80年に退団。全盛期に比べ衰えはあったが、代打中心に2割8分6厘は立派な成績だった。
 故郷ではオフにファッションモデルを務め、雑誌になるほどのおしゃれ。大洋退団後は貿易の仕事やメッツのコーチなどを務めた。

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