日めくりプロ野球 10月

【10月14日】2007年(平19) 勝負どころは初回 はい上がってきた中村紀洋の先制タイムリー

[ 2009年10月1日 06:00 ]

大事な一戦で先制打を放った中村紀(左)は李(中央)の本塁打で生還。大喜びで迎えた
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 【中日5-3阪神】プロでメシを食って15年。その嗅覚がすべてをかぎとっていた。「ここを逃すと流れが変わる。勝負はここだ」。中日の5番中村紀洋三塁手は全神経をバットに集中させた第1打席に入った。
 セ・リーグ初のクライマックスシリーズ第1ステージの2戦目、中日は初回1死満塁の好機を迎えていた。マウンドの阪神先発の上園啓史投手に矢野輝弘捕手が要求したのは内角のカットボール。空振り、あるいは内野ゴロで併殺打というシナリオだった。

 中村紀は心は燃えていても、頭はクールだった。「また同じボールや。絶対」と読んでいた。9月28日、甲子園での対戦で上園のカットボールで三振をしていた。阪神にとって負ければ終わりの1戦。矢野が石橋を叩いた渡るようなリードをしてくると背番号99は確信していた。
 球速132キロのボールの軌道は、半月前と同じだった。一閃したバットから放たれた打球は内野を抜け、金本知憲左翼手の前に達していた。三塁走者はもちろん、二塁走者の森野将彦左翼手まで生還。中日は大勝負の一戦で幸先よく2点を先制した。
 第1戦で0-7と大敗している阪神はこれで完全に冷静さを失った。続く李炳圭(イ・ビョンギュ)右翼手には、痛恨の右翼へ3点本塁打を浴びた。あまりにも痛すぎる初回の5失点。2回以降、リリーフ陣が踏ん張り中日打線を無得点に抑え、打線も3点を返したが、中村紀が言うように一度逃した流れは簡単には変わらなかった。
 中日は初回の5点だけで逃げ切り、その勢いのままリーグ優勝の巨人を倒し、日本シリーズへ。日本ハムに4勝1敗で退け、1954年(昭29)以来、53年ぶりの日本一に輝いた。
 中村紀にとって日本一の3文字は10カ月前には想像もできなかった。契約のもつれからオリックスを解雇され、行くあてもなく野球選手としての生命が絶たれようとしていた。
 「テスト生でいいなら来てもいいよ」。そう声をかけてくれたのが中日・落合博満監督だった。丸刈り、背番号「205」からのスタート、年俸は125分の1の400万円…。針のムシロのようなキャンプ、オープン戦を乗り越え、選手登録されたのが開幕1週間前。野球が思い切りやれる喜びを改めて感じたベテランは、腰痛で歩行もままならなくても決して休まなかった。
 このクライマックスシリーズも痛み止めを飲みながらも出場。試合の後半になれば効き目は薄れ、腰がうずいた。だからこそ、初回、最高のチャンスで先制打を打つことにすべてを注いだのだった。
 あれから2年。楽天に移籍した中村紀は、チーム初のCS進出にも蚊帳の外にいる。もう一度、野球ができる喜びを感じることができるだろうか。復活の日がまた来ることファンは待っている。
 

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