日めくりプロ野球 10月

【10月9日】1974年(昭49) カネやん号泣!渡り鳥・ロッテ、3タテでみちのく初のV

[ 2009年10月1日 06:00 ]

コーチスボックス足を高く蹴り上げるようなスタイルで「カネやんダンス」と呼ばれたパフォーマンス。球場では金田の言動楽しみにして来るお客さんもいた
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 【ロッテ4-0阪急】「監督、出番です!」。1軍マネジャーが差し出した運動靴を就任2年目のロッテ・金田正一監督は「おお、そうや」と笑顔で受け取った。9回2死。胴上げ目前の金田監督は歯のあるスパイクから、選手にケガをさせないように普通の運動靴を履き替え、その時を待った。
 直後に歓喜の瞬間は訪れた。村田兆治投手の128球目。渾身のストレートに押された阪急の3番加藤秀司一塁手の打球は二ゴロ。山崎裕之二塁手がさばき、ジム・ラフィーバー一塁手のファーストミットに白球が収まった。

 74年のパ・リーグプレーオフ。ロッテが3戦全勝で4年ぶり4度目の優勝をプロ野球史上初めてみちのくの地で決めた。村田が完封、プレーオフ打率5割の得津高宏左翼手が8回に切り札・山田久志投手からダメ押しの2点本塁打を放った完璧な勝利だった。後期ペナントレースで王手をかけながら3戦連続0-1で連敗。2位南海が敗れて転がり込んできたという「しまりのない優勝」の悔しさをようやく晴らせた一戦だった。、
 試合終了とともに、スタンドから投げられた五色のテープが紙吹雪とともに舞い、フェンスを乗り越えてファンが仙台宮城球場のグラウンドになだれ込んだ。運動靴を履いた金田監督が満面の笑みで手を叩きながら、村田を中心に抱き合うナインに近づこうと走った。が、その途中で監督は足元からスクッと抱きかかえられると、ベンチ入りのロッテナインらに一塁ライン上付近でマウンドにたどり着く前に胴上げされてしまった。「ワッショイ!ワッショイ!」。控え選手だけでなく、コーチや有藤通世三塁手、弘田澄男中堅手ら試合に出場していた選手、果てはファンまでも胴上げの輪に加わった。
 興奮状態のファンに囲まれながら始まった勝利監督インタビュー。「参った、参った。いやぁー、何と言ったらいいんだ…。胸がいっぱいなんだ。うーん、独りで泣きたい。ファンの皆様、本当にありがとうございました」。絶句しながら涙だけが勝手にあふれ出た。いつもは新聞の“見出し”になるセリフを口にするカネやんもこの日ばかりは様子が違って、ただただ泣くばかり。「日本シリーズもあることだがら、体調を崩してもらっては困る。ビールかけはやめよう」とお達しを出した金田監督だが、ナインの喜びようはハンパではなく、宿舎ではその金田監督が真っ先に“標的”となり、派手な祝勝会シーンとなった。
 72年をもって閉鎖された東京球場が使えなくなってから、仙台を準フランチャイズとしたもののロッテは主催ゲームでも各地を転々としながら戦った。たとえば後期開幕からの日程をたどってみると、東京→兵庫→仙台→静岡→福岡→新潟→東京と3日以上、同じ場所にいたことがなかった。
 「他球団の倍の体力がいるで」と金田監督は就任時よりも口すっぱく「走れ!走れ!」とキャンプで怒鳴り続けた。野球の基本が走ることにあるという持論のカネやんだが、同時に渡り鳥のように転戦しながら試合をこなし、しかも勝利を挙げるには技術以上に体力と見抜いての大号令だった。もちろん体力だけで優勝したわけではなかったが、吐くほど走り込みをしたロッテがゲガ人続出の中で、その苦しい思いを糧にし接戦を制したことは間違いなかった。
 ペナントレースを乗り切ったロッテは、その勢いのまま1週間後に日本シリーズに突入。巨人のV10を阻止したことで気の抜けてしまった中日をシリーズ後半に気力と体力で圧倒。前身の毎日以来、24年ぶりの日本一に輝いた。
 

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