日めくりプロ野球 10月

【10月3日】1957年(昭32) “連勝ストップ”男・醍醐猛夫 鉄腕の記録阻んだ

[ 2009年10月1日 06:00 ]

毎日、大毎、東京、ロッテと球団名が変わってもオリオンズ一筋だった醍醐。通算1132安打、81本塁打で打率2割3分4厘。球宴には4回出場
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 【毎日2-1西鉄】毎日(現ロッテ)の別当薫監督はベテランの技よりも、いざという時ほど若い選手の可能性にかけた指揮官だった。この時も敢えて代打を使わず、まだ18歳のルーキーにすべてを託した。
 後楽園での毎日-西鉄22回戦の8回裏、1死一、二塁。1-1のタイスコアの場面。カウント2-1と追い込まれた毎日・醍醐(だいご)猛夫捕手は、4球目のシュートに反応した。スライダーが武器、といわれた西鉄・稲尾和久投手だが元来は「シュートが本当の決め球」。内野ゴロに仕留め、併殺を狙った。

 「真っ直ぐだと思ってフルスイングした」という醍醐。確かにシュートはしたが、連投連投の稲尾のボールは、6回からリリーフに立った時からキレがなく、回を追うごとに変化球が甘く入るようになった。醍醐へのウイニングショットもキレはなく、真ん中付近にきた。
 快音を発した打球は、中西太三塁手、豊田泰光遊撃手の間を真っ二つに割った左前打。二塁走者の葛城隆夫三塁手が疾走し、ホームを陥れた。新人キャッチャーの殊勲打で、大毎は4連敗中だった稲尾を攻略。逆転に成功した。
 「醍醐?よく打ってくれた。稲尾の球威がいつもほどではないにしても追い込まれてからだからね。まだ新人だけど、しぶといよ」。勝ち越しの場面で、動きたくなるところを我慢した結果、勝ち越し打を放った新人に別当監督はしてやったりの顔でベタ褒めした。
 1点差で逃げ切った大毎。醍醐の逆転打は、球史に残る1本でもあった。稲尾は7月18日の大映13回戦(後楽園)から負け知らずの20連勝中。先発、リリーフ、抑えと、三原脩監督がベンチで発する「困ったなあ」の声にいつも反応し、連日投げ続けた鉄腕についに黒星を付けたのだった。
 この1本は醍醐のプロ野球人生を変えた。現役18年の中で最高打率は64年の2割7分3厘。だが、数字以上に勝負強い打者で、人呼んで“連勝ストップ”男。特にエース級には強かった。稲尾と並ぶパ・リーグの代表格、南海・杉浦忠投手の連勝を阻んだ時も醍醐のバットだった。
 稲尾と醍醐の縁はこの時からあったのかもしれない。連勝ストップから27年、稲尾がロッテの監督に就任すると、ヘッドコーチ格で呼ばれたのが、4年前に山内一弘監督と対立してロッテのコーチを辞任していた醍醐だった。
 早稲田実業出身。巨人・王貞治一塁手の2年先輩で強肩強打の捕手としてオリオンズ入り。稲尾から決勝打を放ったルーキーイヤーには113試合に出場した。ファイトあふれるプレーで投手陣を引っ張り、60年代はレギュラー捕手として活躍。70年、ロッテとしては前身の大毎以来10年ぶりの優勝となったシーズンでは正捕手としてチームを引っ張った。
 71年に記録した4打席連続本塁打で「これで王にも少しは近づいた記録ができた」と喜んだ。引退後は2軍監督、スカウトなども歴任。オリオンズ、マリーンズの生き字引的存在だ。

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