日めくりプロ野球 10月

【10月21日】1958年(昭33) 鉄腕はヘトヘトに疲れていた…西鉄、奇跡の大逆転V裏話

[ 2008年10月19日 06:00 ]

大逆転Vを決めた瞬間、稲尾和久投手(右から2人目)に駆け寄る西鉄野武士軍の戦士たち。左から豊田泰光、中西太、稲尾、日比野武。
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 【西鉄6-1巨人】巨人最後の打者、宮本敏雄右翼手が打ち上げたセカンドへのフライを仰木彬二塁手が、丁寧にキャッチした午後3時56分。11日間にわたる死闘となった西鉄-巨人の3年連続の日本シリーズは、西鉄が3連敗の後の奇跡の4連勝で幕を閉じた。あれから半世紀、最高の盛り上がりを見せたシリーズは、忘れ去られるどころか、球史に残る名勝負として今でも野球ファンに語り継がれている。
 “神様、仏様、稲尾様”と称えられた西鉄・稲尾和久投手が5連投を含む6試合登板で4勝を挙げたこと、その稲尾が巨人のスーパールーキー長嶋茂雄三塁手のクセを見破り打席でスライダーとシュートを投げ分け、第4戦以降封じたこと、平和台球場での第4戦が早々と雨天中止になったのは稲尾に休養をとらせるためという側面もあったことなど、ありとあらゆる方向から語り尽くされている感も強いが、稲尾が最後の力を振り絞って登板した第7戦の前夜ことはあまり知られていない。

 第6戦で被安打3三振9個を奪って109球で完封勝利を収めた稲尾は、試合終了直後三原脩監督に「あしたもいくからな」と言われ無言でうなずいた。しかし、疲労はピークに達していた。だからと言って稲尾は決して口には出さない。稲尾が「ちょっと疲れたな」とこぼした相手は一人だけだった。
 登板の後にマッサージをしてくれる高橋トレーナーには「肩が思うように上がらないし、握力がない」と話した。第7戦前日の10月20日夜、西鉄の定宿、東京都文京区の大国屋旅館でのマッサージ中だった。
 高橋トレーナーもいつも触れている稲尾の筋肉の具合で疲労の度合いは分かった。「かなり疲れている。リリーフならまだしも、先発は無理」というのが直感だった。稲尾が弱音を吐いたなら、8年の付き合いになる三原監督に、越権行為かもしれないが“先発回避”を進言してもいいと思っていた。しかし、心配顔のトレーナーに、稲尾は人懐っこい細い目をさらに細めて笑った。「でもあと1試合さ。大丈夫だよ」。
 その夜、高橋トレーナーは2度寝床から起きた。どうしても稲尾のことが気になって眠れず、気がつくと中西太三塁手、島原幸雄投手、それに稲尾の3人の部屋である和室の前にいた。静かにふすまを開けると稲尾の寝顔を見た。「良かった。ぐっすり眠っている」。
 稲尾の調子のバロメーターは睡眠だった。「少なくとも10時間は寝る」という稲尾。試合開始1時間を切ってから球場入りし、10安打で4点を奪われながらシリーズ1勝目となる完投勝利を挙げたのは第4戦のことだった。
 稲尾が目覚めた時、時計の針は既に午前11時近かった。西鉄ナインは既に決戦場である後楽園で体を動かしていた。「いずれ起きるだろう。それまで寝かしておけ」と三原監督は藤本マネジャーに命じそのまま出発。試合開始予定は午後2時。巨人に連敗した1、2戦時は、大国屋旅館が台風被害に遭ったため、別の旅館に宿泊していたが、連敗したことから、今回は徒歩5分で後楽園にいける定宿に戻していたため、旅館側も稲尾の朝寝坊はいつものことと承知していた。稲尾が球場に入ったのは、試合開始2時間前のことだった。
 すぐにブルペンに入った稲尾の後姿を見ながら、三原監督は高橋トレーナーに聞いた。「サイ(稲尾のニックネーム)はどうかな?」。高橋は一瞬言葉に詰まった。「かなり疲れてます。先発は無理です」と言いかけた。が、言えなかった。“2戦目で1つもアウトを取れずにKOされた島さん(島原投手)を投げさせるわけにもいかないだろ”と、とっさに思ったからだった。それでも稲尾のことは心配だ。
 戸惑った末に発した言葉は「いつもと同じです。大丈夫です」。三原監督は一瞬、高橋に鋭い視線を投げた。高橋の声がいつもより小さく、表情が冴えなかったのを見抜いているかのようであった。緊張が走ったが、それでも三原監督は腕組みをし軽くうなずくと、何も言わなかった。
 午後2時10分、試合開始。稲尾は予定通り先発した。中西の3試合連続となる先制3点本塁打などで優位な展開になったことが、稲尾の気持ちを楽にしたことは間違いなかった。7回、投球練習をしようとした時に、ボールを握りそこないマウンドにポトリと落とした。握力が限界にきていたのだ。9回、完封ペースも細心の注意を払って攻めてきた長嶋にセンターの左をやぶられ、ランニングホームランを許したが、気にならなかった。頭の中には「あと3人でもう投げなくていいんだ」という思いしかなかった。
 後年、稲尾の連投は酷使のなにものでもないと批判する関係者は多かった。三原監督自身も「投手生命を縮めた」と稲尾に詫びたことがある。しかし、稲尾は言う。「多くのお客さんのいる最高の舞台で、あれだけ信頼して投げさせてもらったのは嬉しかったし誇りに思っている。謝ってもらうことなんて一つもない」。
 伝説の日本シリーズから49年が過ぎた07年11月13日、鉄腕・稲尾投手は悪性腫瘍のため亡くなった。享年70歳。58年の日本シリーズで6試合47回を投げた稲尾の記録は、いまだに破られていない。

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