日めくりプロ野球 10月

【10月18日】1987年(昭62) やっぱ老朽化?後楽園最後の公式戦に飛び出した“怪弾”

[ 2008年10月15日 06:00 ]

後楽園球場最後の年に“怪弾”を放った巨人・吉村禎章外野手。通算149本塁打だが、シーズン30本はこの年だけだった
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 【広島5-2巨人】88年からの東京ドーム開場に伴い、取り壊しが決定した後楽園球場。就任4年目にして初優勝を決めた巨人・王貞治監督の胴上げが見られるということもあったが、消化試合にもかかわらず5万人ファンが数々の名勝負、思い出を懐かしむようにこの野球の殿堂での最後のセ・リーグ公式戦に集まった。
 日中戦争が始まった1937年(昭12)から半世紀の歴史を紡いだスタジアムの公式戦7172試合目。満員御礼の5万の大観衆が見守る中、最後に飛び出した1万416本目の本塁打こそ、世にも珍しい“怪弾”となった。

 4回裏、巨人は一死無走者で打者は5番・吉村禎章右翼手。カウント2-1から広島・白武佳久投手の4球目はボールで2-2となった。ところが--、後楽園スコアボードのストライク、ボール、アウトを示す「SBOランプ」のボールを表すBのランプのが青く点灯していない。ようやく1つ点灯したが、2つ目がつかない。審判歴26年の山本文男球審が首をかしげながら、手にしているプラスチック製のインジケーターをのぞくと「S2B2」と2-2示していた。
 情けない話だが、2-2か2-1か山本球審は自信がなかった。仕方なく目の前の達川光男捕手と吉村に尋ねた。「2-2だよね」。間髪入れずに答えたのは達川だった。「山本さん、何を言うとるんですか2-1ですよ。スコアボードも2-1ってなってるじゃろ」。かくして達川お家芸の“おトボケ”で、試合はカウント2-1から再開された。
 1球ファウルのあと、ボールが2球続き、本来なら四球のところがカウント“2-3”。ラストボールは外角高めのストレート。吉村は左翼へ弾き返した
。秋晴れの空を背景に白球は左翼席で弾んだ。吉村の“大台”に乗る30号ソロ本塁打は、カウント2-4からの世にも珍しい、いや日本プロ野球始まって以来の怪奇な一発となった。
 生還した吉村にベンチスタートの篠塚利夫内野手が言った。「フォアボールだったろう?気がつかなかったのか?」。吉村は「そう言われればそんな気もしたけど、達川さんが2-1って言ったから、あんまり気にしていなかった。でもラッキーです。これで30本になりましたから」と結果オーライの一撃に笑いが止まらなかった。
 ウソか本当か「2-1じゃった」と言い張る達川。被弾した白武は「本当に?一生懸命投げてたから気がつかなかった」と、ベンチで落ち込んだが、一番頭を抱えたのは山本球審。「申し訳ない。回が終わって指摘された。でも知っていたなら教えてほしかった」。野球選手が審判が、プレー中にカウントを間違えるのは、集中していない証拠と言われても仕方ない恥ずかしいことだが、どうも広島側は確信犯?のような気がしてならない。
 ベンチにいた広島・阿南準郎監督は「気づいてました。もうけたと思ったんですけど…。やっぱり人間正直じゃないといけまんね」。消化試合だから半ば笑い話ですんだが、ついこの前まで優勝争いをしていたチーム同士。時期が時期なら勘違いでは済まされないシーンになっていた。
 野球規則の九・〇二「審判員の裁定」のb注二にはこうある。「審判員が規則に反した裁定を下したにもかかわらず、アピールもなく、定められた期間が過ぎてしまったあとでは、たとえ審判員が、その誤りに気づいても、その裁定を訂正することはできない」。
 公式記録にもカウント2-4からの本塁打として残ることになった。過去2-4となったケースは3度あったが、吉村までの2人はいずれも三振。吉村はケガの功名で現役17年で唯一の30本塁打を記録することができた。戦争中は空襲で一部が焼け落ち、イモ畑になったりと時代に翻弄された後楽園球場は最後の最後に“名勝負”ならぬ“迷勝負”の舞台になった。

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