日めくりプロ野球 10月

【10月9日】1996年(平8) あの感激は再現せず…阪神優勝バッテリーそろって引退

[ 2008年10月6日 06:00 ]

85年10月16日、21年ぶりにセ・リーグを制した阪神。中西清起投手が喜びを爆発させ、木戸克彦捕手に駆け寄った。その後ろでは後の阪神監督、岡田彰布二塁手も満面の笑み
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【阪神11-1中日】あの時は超満員の4万8000人で埋まったスタンドが、今は8分の1の6000人。あれから11年。時の流れを感じながら、背番号19はマウンドへ、背番号22はホームベースへと歩を進めた。
 甲子園球場の阪神-中日最終戦。阪神にとってシーズンラストゲームの試合は、中西清起投手と木戸克彦捕手にとっても“引退試合”だった。正確に言えば、現役続行を希望する中西には阪神を卒業する試合、来季の1軍バッテリーコーチ就任が内定している木戸にとっては現役を退くためのセレモニー。顔見せ程度の木戸と違って、戦力外通告された中西には他球団へのアピールの場だった。

 141キロのストレートで1番・益田大介中堅手を3球三振に。続く鳥越裕介遊撃手を二飛、3番・立浪和義二塁手も二飛に打ち取った。“最後”ということで中日の各打者が“空気を読んだ”3者凡退ではあったが、「まだやれる自信は十分ある」という中西は真っ直ぐ中心に14球で片付け、13年着続けた縦ジマのユニホームに別れを告げた。
 木戸もラッキーなヒットで花道を飾った。4番・新庄剛志中堅手の満塁本塁打で4点を奪い、さらに二死一、二塁。8番・木戸の打球は平凡な遊ゴロに見えたが、これがややイレギュラーし、左前打に。「運だけでここまでこれたオレの野球人生みたいなラッキーなヒットやった」と通算505本目の安打で満塁にすると、9番・中西の代打・塩谷和彦内野手が左翼席へ新庄に続いてグラドスラム。塩谷にとってプロ初本塁打は、プロ野球史上初の1イニング2本の満塁本塁打として記録に残ることになった。
 阪神ファンの記憶に忘れることなく残っているシーンに中西と木戸は登場する。1985年(昭60)10月16日、神宮球場で阪神はヤクルトと5-5で引き分けたが、優勝マジック1だった阪神はこれで21年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた。ヤクルトの最後の打者、角富士夫三塁手のピッチャーゴロをがっちり捕球し、渡真利克則一塁手に転送、胴上げ投手になった男こそ、この年から新ストッパーとなった中西。中西をはじめ、気の強い猛者の多かった投手陣を引っ張ってきたのが女房役の木戸。角が投ゴロを打った瞬間、マスクを放り投げて喜びを爆発させた。
 頂点に立った日、ビジターの神宮は黄色のメガホン一色だった。それが引退試合ではいすが野球を見ているような気分にさせるほどガラガラ。「残念やね。弱いとこうなるんや」。2年連続最下位の阪神の成績と自身の引退に木戸は思わず涙ぐんだ。
 この優勝バッテリーには共通点が多い。木戸は78年夏に大阪・PL学園高で、中西は80年春に高知商高でそれぞれ甲子園優勝を経験。プロ入りも82年は木戸が法政大から、中西は翌83年社会人のリッカーからそれぞれドラフト1位での入団だった。
 背番号もスター選手の後を継ぐ番号で中西の19は、入れ替わりで引退した小林繁投手が付けていたもの。木戸の22は法大の先輩でもある田淵幸一が西武に移籍する前に背負っていたタイガースとっておきの番号だった。
 酒量も底なしの2人。木戸はルーキーイヤの夜間練習で酔ったまま練習に出て大目玉を食らったり、ユニホームのまま飲みに行ったという伝説もあるほど。中西は飲みすぎて寮の門限破りをした上に塀を乗り越えた際に顔面を強打し入院したというエピソードまである。
 現役にこだわった中西も横浜、ダイエーのテストに不合格となり、マウンドに立つことを断念。阪神日本一戦士の1人、吉竹春樹外野手もこの年西武で引退し、96年をもって85年優勝メンバーの主力はすべてユニホームを脱いだ。中西、木戸、吉竹の3人は08年時点で阪神の1軍コーチを務めている。
 

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