日めくりプロ野球 10月

【10月4日】1958年(昭33) 6日間の逆転劇!王貞治、巨人と正式契約

[ 2008年10月1日 06:00 ]

巨人の球団事務所で契約を交わし、ユニホームに袖を通した王貞治。品川球団社長(右)、宇野球団代表(左)もゴールデンルーキー獲得に大喜び
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 東京・西銀座の巨人軍球団事務所。57年の春のセンバツ高校野球大会優勝投手、早稲田実業・王貞治は、巨人軍では歴代5人目となる背番号1のユニホームに袖を通し、最高の笑顔でカメラマンの注文に応えてポーズを作った。
 「憧れだったジャイアンツのユニホームを着てみると、うれしさを通り越して身が引き締まるような思いがする。プロに入ったからには1日も早く第一線に出られるようにならなければ」。
 やや緊張気味に“決意表明”する、大物新人の左右には、品川主計球団社長と宇野庄治代表。終始ご機嫌の2人は何を聞かれてもニコニコ顔。「王君の名前が中国流に読んで“ワン”であるし、高校時代からずっと付けていたこともあって背番号は1にしました」と話す品川社長の言葉を聞きながら、宇野代表は王獲得に至った“運命の6日間”を思い出していた。

 「宇野君、どうも王は阪神に決まったらしい」。選手のスカウティングを任されていた宇野代表が、品川社長から絶望的な長距離電話を受け取ったのは、九州・福岡工高の上野新投手、那須静雄内野手(ともに王と同期で59年巨人入団)を獲得するため、博多に宿泊していた時だった。阪神を筆頭に中日、大洋(現横浜)、大毎(現ロッテ)、阪急(現オリックス)、近鉄などの球団が王に接触していることは知っていたが、阪神の動きが予想より早かったのが宇野代表の誤算だった。
 事態は切迫していたが、超目玉の王獲得を諦めるわけにはいかない。8月26日、朝一番の飛行機で帰京すると、宇野代表の行動は素早かった。まずは東京・兼平橋にあった王の自宅へ。両親、親族から話を聞くと、王のもとに足しげく通った阪神・佐川直行スカウトの熱意にほだされ、王自身が「入団すると返事をしてしまった」という。訪問がほとんどなかった巨人にはもう入れないと判断した高校3年生の判断だった。
 巨人にとって幸運だったのが、口約束だったということ。さらに王の両親や親族は「佐川さんの熱心さには頭が下がるし、信頼もしている」としながらも、そろって巨人ファンだった。まだ脈あり、とみた宇野代表は27日、交渉のキーマン、外科医である王の兄のもとへと出向いた。
 神奈川県にある町立病院。昼の休憩時間に宇野代表と面会した兄は「巨人が交渉に来なければ、阪神入りも仕方がないと思っていた」としながらも、遅ればせながら巨人が“参戦”したことで「今は本人だけの承諾。家族の意見はまだまとまっていないので、正式回答ではない」と王の阪神入りを否定。王のプロ入りを前提に、誘いがある早稲田、慶応両大学のどちらかへの進学も含めて家族会議で決めるとした。その直後に訪ねて来た佐川スカウトにも同様の話が伝えられ、ひとまず阪神入りはご破算になった。
 28日は阪神、29日は巨人がそれぞれ王側に細かい契約条件を提示。30日になって中日、大洋が破格の条件で、大毎が早実の先輩で後に師匠になる荒川博外野手を介して接触してきたがもはや問題外。勝負は巨人と阪神の一騎打ちとなった。
 そして8月31日、横浜の親族宅で開かれた家族会議で王は口を開いた。「一度は阪神に気持ちが傾いたが、子どものころから好きだった巨人に誘われたのでジャイアンツに行きたいと思う。あとはみんなの意見に従う」。会議の流れは決まった。巨人ファンの家族にも異論はない。午後9時、自宅に呼ばれた宇野代表は兄から伝えられた。「巨人軍にお世話になります」。
 08年、半世紀のプロ野球人生にピリオドを打った王。あの時、阪神に入っていたら投手を続けていたかもしれないし、世界の本塁打王になっていなかったかもしれない。ドラフト制度がなかった時代ならではの、大物選手獲得劇はどこまでもドラマチックであった。

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